リオ五輪の最終選考会を兼ねた体操の全日本種目別選手権は5日、東京・代々木第一体育館で男女各種目の決勝を行い、男子は日本代表5人が決定した。五輪初代表を決めた白井健三(19=日体大)は、この日も床運動と跳馬で大暴れ。体操の申し子と呼ぶにふさわしい活躍だったが、ここまでの成長の裏には「ストライキ事件」と、それを救った「キングイズム注入」という2つの物語があった――。

 白井は得意の床運動で抜群の存在感を示した。冒頭から後方伸身宙返り3回半ひねり、リ・ジョンソン(後方抱え込み2回宙返り3回ひねり)を繰り出し、エンジン全開。続けて自身の名がついたシライ2(前方伸身宙返り3回ひねり)、最後にはシライ(後方伸身宙返り4回ひねり)もほぼ止め、16・650点の高得点で優勝した。

 続く跳馬では、新技「伸身ユルチェンコ3回半ひねり」にもトライ。結果的にひねりが3回になったものの、すでに内定している内村航平(27)、加藤凌平(22)、今回選出された田中佑典(26)、山室光史(27)のコナミスポーツ勢とともに代表入りを果たした。

「リオ五輪では完璧な演技をしたい。唯一学生なので、声出して勢いが出るようなムードメーカーでありたいですね!」

 天真らんまんな19歳は、体操が楽しくて仕方がないといった様子。しかし、白井の父・勝晃さんによると、唯一挫折しそうになった時期があったという。

「健三が小6か中1だったと思う。日体大の体操教室で毎日6時間、基礎的な練習をみっちりやらせたことがありました。ところが、そのとき初めて『体操が面白くない』と言いだしたんです。それまでは型にはめた練習はしてきませんでしたからね」

 白井の初めてで唯一のストライキ。そこに偶然現れたのは、当時日体大に通っていた内村だった。白井の才能をすぐに見抜いたキングは「そこをちゃんとやらなきゃ」「それじゃあダメ」などと体操哲学を注入した。

「内村選手が19歳で北京五輪の初代表に選ばれたときだった。体操で大成するには、あの年代に基礎を徹底しなければなりません。うれしくなった健三は続けるようになりましたね」と勝晃さんは振り返った。

 現在の白井があるのは、内村のおかげといっても過言ではない。それから急成長を遂げた白井は、8年の時を経て五輪代表に選出された。くしくも当時の内村と同じ日体大生、同じ19歳。内村は「代表メンバーの中で健三は五輪を経験していないが、全く問題ないです」と現在の実力に太鼓判を押す。

 内村が「世界で一番強いチーム」と胸を張る今回の日本代表。団体金メダル獲得に向け、師弟のような絆で結ばれた天才2人の共闘が始まる。