【東スポ2020現場最前線】人類を脅かす人工知能(AI)がついに五輪スポーツを支配する。国際体操連盟(FIG)と富士通が共同開発してきた世界初の「体操採点支援システム」が今年の世界選手権(10月4~13日、ドイル・シュツットガルト)から正式運用を開始。2020東京大会で本格的に導入される。高難度の技を機械が解析し、いずれは演技の美しさまでロボットが見極める。そんなSF映画のような世界を目指す革命的プロジェクトを本紙は徹底取材。その無限の可能性に迫った。

 画期的な発明とは、誰もが想像できないヒラメキから生まれるもの。今回のプロジェクトもある人物の“ジョーク”から始まった。キッカケは16年10月、日本人として23年ぶりに国際競技団体のトップに就任した国際体操連盟・渡辺守成会長(59)が「東京五輪ではロボットが採点しているだろう」と冗談交じりに漏らしたひと言だった。開発プロジェクトのリーダーを務める富士通の藤原英則氏(48)は「後からジョークだと知らされました」と苦笑するが「ライト兄弟がそうだったように、斬新な取り組みは最初は物議を醸す。日本で五輪をやるので絶対に世界を驚かせたかった」と熱弁する。冗談と熱意が意図せず融合し、革命的なプロジェクトが2年半前にスタートした。

 世界初の“ロボット採点”の仕組みはこうだ。競技会場に設置された複数台の装置から1秒間に200万点のレーザー光が選手に照射され、その反射時間(タイムオブフライト方式)で人体の立体形状を取得。あのZOZOスーツより何千倍も正確なシルエットだ。そこにAIが骨格を当てはめ、手首、肩、ヒジ、腰などの関節を認識。そして学習して蓄積した「技の辞書」を基に、選手の繰り出した技が確定される。

 メリットは計り知れない。まずは採点の「正確性」と「公平性」だ。現在、審判は競技を見ながら採点シートに記入し、瞬時で目視、速記、計算を約60秒で行う。だが、近年は器具が進化し、技が複雑になっているため人間の目ではそろそろ限界。例えば、あん馬の「正面支持」では「頭と腰のラインが15~30度ずれていると0・1減点」と規則にあるが、果たして肉眼で正確な角度を判別できるのか。そもそも個々の審判で見る位置が違っており、特に正面側に審判がいない跳馬では脚の開きを厳密に判定することは不可能に近い。過去には五輪で“誤審騒動”(※後述)も起きている。しかし、時系列データも出るシステムでは微妙な動きも一目瞭然。画面には腕や腰の角度が数値化され、90度未満か否かで決まる「抱え込み」「屈伸」もきっちり判別できる。実際、現場の選手からは「不得意な技を審判から遠い場所でやる選手もいるが、それがなくなるのはいいこと」「人間に見られるより、機械の方がストレスなく演技できる」「会場や審判によって採点が変わらないので集中できる」といった賛成の声が聞こえてくる。

 すでに昨年10月の世界選手権(ドーハ)では試験的に導入し、国際連盟の評判も上々。今年10月の世界選手権では「審判が迷った部分をサポートする」(藤原氏)という採点支援の導入が決まった。さらに渡辺会長は「2020年の東京五輪では5種目の自動採点に取り組みたい」と、ロボットのみの採点を本気で目指している。

 当然、課題もある。採点規則の中には「わずかに曲がる」「極端に曲がる」といった抽象的な表現があるため、150~170度を「わずか」と定義するなど、すべて数値化しないといけない。「審判の職が奪われる」という批判の声もある。だが最も大きな問題は「人間の感性でしか見極めれらない“美”を機械が判定できるのか?」という究極のテーマだ。

「明るい、楽しい、目力といった表現力、音楽と動きの調和性、選手の態度といった採点項目まである。同じ動作でも、ただ手を伸ばすのか、ゆっくり伸ばすのか。最終的には人間が太古から美しいと感じる夕日や自然の緑、見慣れてくるという単純接触効果など、すべてをAIに覚えさせないといけない」(藤原氏)

 美しさは人間しか判断できないという意見もあるが、裏を返せばそこに「情」が入り込むスキがある。「実績ある選手に高得点が出るケースがたまにある」と証言する関係者もいれば、ある現役選手は「審判の“情”が入らないのはうれしい限り」と本音を漏らした。

 開発チームは「道のりは長いけど技術者として追求したい」(藤原氏)とさらなる改良を目指しているが、AIと人類が共存するカギがここに隠されているかもしれない。

※誤審騒動=2012年ロンドン五輪の体操男子団体で起きた。5種目を終えた時点で日本は中国に次ぐ暫定2位。逆転を狙って最終種目あん馬に登場したエース内村航平(当時23)はフィニッシュに失敗し、13・466点というまさかの低得点となり、一時は4位と発表された。ここで日本陣営は技の難度を示す演技価値点が間違っていることに気付き、国際体操連盟に猛抗議。約15分間の審議の末に0・7点が上方修正されて2位(銀メダル)となったが、一度は2位と発表された開催国の英国が3位に転落したため表彰式では大ブーイング。内村は「後味の悪いチーム戦だった」とぶぜんとした表情で振り返った。
 その前年の11年10月の世界選手権でも内村は誤審に遭った。個人総合3連覇を狙って繰り出したG難度の大技「リ・ジョンソン(後方抱え込み2回宙返り3回ひねり)」があまりの高速回転だったため、審判の目が追いつかずに「2回ひねり」と判定。コーチの抗議で0・2点アップして優勝したが、肉眼の限界を露呈した形となった。

【競技力アップ】採点システムの可能性は無限大だ。今後は練習での活用も見込まれ、藤原氏は「調子がいい時と悪い時の角度など、感覚を数値化することで選手の質、競技の向上につながる」と語る。もちろん海外への普及も視野に入れているが、いち早く導入できる日本にとってプラスに働くに違いない。

 将来的にはテレビ中継で技の難度をオンタイムで表示したり、会場で音声ガイダンスを併用する案も進行中。「難度の高い技を決めたら画面を光らせたりすれば、お年寄りにも分かりやすい。野球やサッカーのように視聴者が“評論家”になれるような競技にしたい」(同氏)

 また、プロジェクトチームは水泳の飛び込み、シンクロ、フィギュアスケートなどの採点競技の進出も狙っており、ロボットがあらゆる競技を採点する時代はすぐそこまできている。