【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(33)】2012年12月2日、当時43歳の藤田寛之(葛城GC)が国内男子ゴルフの頂点、賞金王のタイトルを初めて手にした。賞金ランキング首位で迎えたツアー最終戦「日本シリーズJTカップ」(同年11月29日~12月2日)では初日から首位を譲らない完全優勝で大会史上初の3連覇を達成。圧倒的な強さで強烈な印象を残した。本紙連載「フラッシュバック」では“アラフォーの星”がまさに輝いた瞬間を本人の言葉とともに振り返る――。

 大逆転や大波乱が起きたわけではない。12年の賞金王争いが歴史に残るドラマチックなものになったのは、主人公の藤田が日本一のタイトル以外にも多くの目標を持ってツアー最終戦に臨んでいたからに他ならない。

「二兎どころか、三兎を追う」とは大会前の当時のコメント。藤田が狙っていたのは賞金王、大会3連覇、翌年の「マスターズ」出場権の3つだった。「記者の方から3連覇は過去にいないという話と、2連覇の顔ぶれを聞いて、やってみたいという気持ちが強くなりましたね」

 その年に活躍した選手だけが出場できる「日本シリーズ」。過去に2連覇したのは尾崎将司の2回を筆頭に、河野高明(故人)、青木功、尾崎直道が各1回。そんなレジェンドたちを超えることが藤田の大きなモチベーションになった。

 海外メジャー「マスターズ」の出場権獲得に必要だったのは年末時点での世界50位以内。国内最終戦に優勝すれば、大舞台への切符を手にすることは確実だった。

「11年に初めて『マスターズ』に出て、もう一度という気持ちは強かったです。(世界)50位以内を維持していれば、他のメジャーにも行けるので、そこは常に考えていました」。国内で成績を残すとともに海外メジャー出場の機会が増え、その舞台で結果を残すためにと練習を重ねる。この繰り返しが“アラフォーの星”を進化させた。

 大会が始まると、藤田はいきなり飛び出した。初日に9アンダーの「61」をマークし、単独首位スタート。唯一、逆転賞金王の可能性があった谷口徹は早速「帰ろうかな」と白旗を掲げた。「谷口さんの後も、2日目は武藤(俊憲)、3日目は(石川)遼と、同じ組で回った選手が『藤田さんにはかなわない』という感じのコメントをしていて、それを記事で読んだときは、うれしかったですね」

 終わってみれば、初日から首位を譲らず、5打差という数字以上に他選手を圧倒しての快勝。「自分はプレーオフが多く、優勝しても接戦ばかりだったので、圧倒的な強さというのを求めていました。そういう勝ち方にあこがれを持っていました」。この試合で、ということではなかったが、そんなひそかな目標も併せて達成した。

 他の追随を許さない強さを発揮しただけに、会場の東京よみうりCCは大の得意コースかと思いきや、藤田はこれをやんわり否定する。「よく言われますけど、そこまで得意と思ったことはないですね。ツアー初優勝の1997年から毎年のように出ていて、優勝のチャンスがなかったわけですから」。3連覇が始まった初Vの10年は6年連続10度目の出場だった。

 あれから8年、“アラフォーの星”は今年51歳を迎えた。「日本シリーズ」の舞台に立つことも年々、厳しくなる中、昨年は3年ぶりに出場。新型コロナウイルスの影響でトーナメントの中止が相次ぎ、出場資格が大幅に変更になった今年も、2年連続17度目の出場を決めた。「今年は少し雰囲気が違うかもしれませんけど、トップの選手しか立てない、あのステージに立てるのは光栄です。少し前に、あるイベントで東京よみうりに行きましたが、思い出がよみがえってきて、どこか居心地の良さを感じるんです。自分にとって特別なコースですね」

 男子ゴルフ界では、プロ転向後3試合目で「ダンロップフェニックス」を制した金谷拓実(22)を筆頭に若手が次々に台頭しているが、まだまだベテラン健在。居心地のいいコースで今年も大いに存在感を発揮するはずだ。

 賞金王として迎えた翌年のシーズン、藤田を待っていたのは“キング待遇”だった。
「クラブハウスを歩いていると、他の選手が道を開けてくれるんです。まさに王様というか、賞金王はちょっと違いましたね(笑い)」。それ以前から実績十分のベテラン選手。そんな藤田でも感じるほど、周囲の反応が変わったという。

 メディアの注目度も一気に増した。「成績にかかわらず毎日必ず、囲み(取材)が入るというのが新鮮でしたね」。連日の取材を煩わしく思うことはなかったのか。当時、藤田を囲んでいた記者の一人としては気になるところだが「それはなかったですね。ああ、これが賞金王なんだなって感じていました」と振り返った。

 そこまで上り詰めた藤田が今季は“若手”としてシニアツアーにも積極的に出場した。

「試合をすることで、何をすべきかが見えてくるものなんで、試合がないのは自分にとってブレーキでしかないんです。7~8月あたりは何をしていいか分からずに練習している感じでした」

 コロナ禍でレギュラーツアーは中止が相次ぐなか、シニアツアーがひと足早く再開。試合を求めての決断だった。通常通りに試合が開催されれば、今後もレギュラーツアーが主戦場であることに変わりはない。後輩に道を譲る日々を過ごすのはまだ先になりそうだ。

 ☆ふじた・ひろゆき 1969年6月16日生まれ、福岡県出身。専修大時代の92年にプロへ転向。97年「サントリーオープン」で尾崎将司に競り勝ちツアー初優勝を挙げた。20代での優勝はこの1勝のみだったが、30代で5勝、40代で12勝と年齢を重ねるごとに強さを増し“アラフォーの星”と呼ばれた。2012年には年間4勝を挙げて初の賞金王を獲得。43歳は最年長での初戴冠となった。51歳となった今季は賞金ランキング28位で「日本シリーズ」出場を決めた。168センチ、70キロ。