宮里藍「世界ランク1位」の出発点 2006年「全米女子プロ」1打差に泣くも悔しさより充実感

2020年06月30日 06時15分

2006年の「全米女子プロ」最終日、最終18番ホールをバーディーでしめた宮里藍

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(9)】新型コロナウイルスの影響で中断していた国内女子ツアーも再開し、日本にもプロゴルフが戻ってきた。昨年の日本女子ゴルフ界は渋野日向子(21=サントリー)の日本人で2人目となるメジャー制覇に沸いたが、今から14年前にもメジャーVまであと一歩に近づいたスーパーヒロインがいた。後に米ツアーで9勝、世界ランキング1位にも上り詰めた宮里藍。デビューから一足飛びで駆け上がってきた20歳を襲った初めての屈辱の舞台裏に迫った。

 2006年6月11日。米東部メリーランド州の田舎町、ハーバディグレースにあるブルロックGCでは、朝から数十人の日本人メディアがどこか浮足立っていた。それもそのはず。当時人気絶頂で、この年から主戦場を米ツアーに移した藍がメジャーの「全米女子プロ」最終日を首位タイで迎え、最終組でプレーするからだった。

 そういう記者もそわそわしていた。実は藍は前週にも最終日最終組でプレー。米ツアー初優勝達成なら、大会のピンフラッグにサインしてもらい、それを読者プレゼントにすれば強烈なインパクトになるはずと考え、最終日のスタート前に購入して準備していた。

 だが結果は13位。一記者がどんな行動をしていようが藍のスコアに影響を与えるはずもないが、今週は「捕らぬたぬきの――」はやめておこうと考え、何も準備はせずにスタートを迎えた。

 2週連続最終日最終組となった藍は、通算7アンダーで並んだ37歳のベテラン、パット・ハースト(米国)とのラウンド。1打差の3位からは前年10月にプロ転向し、当時は「天才少女」の名をほしいままにしていた16歳のミシェル・ウィー(米国)が逆転Vを狙っているという状況だった。

 3番パー3ではティーショットを1メートルに付け、幸先よくバーディーを先行させたが7番パー3でつまずいた。ティーショットがラフにつかまると、2打目でも乗せられず、次で6メートルに3オン。このパットがカップの縁に止まってダブルボギーとしてしまう。

 11番パー5ではラフとバンカーを渡り歩く苦戦を強いられてボギー。13番と16番でバーディーを奪って盛り返したが、続く17番パー3でボギー。すでにホールアウトしていた首位の朴セリ(韓国)とカリー・ウェブ(オーストラリア)とは2打のビハインドとなってしまった。

 プレーオフ進出のためには18番パー4でイーグルを取らなければならない。その2打目はピン横3メートルに止まり、この瞬間勝利の可能性はなくなったが、スライスラインのバーディーパットを決めるとガッツポーズでホールアウトした。1977年に同大会を制した樋口久子以来となる日本人のメジャー制覇はならなかったが、その顔には充実感が漂っていた。

 勝利を逃した後のメディア対応。クラブハウス近くで話していた時にはちょうどプレーオフが行われているタイミングで、朴の優勝を決定づけるショットの際には地鳴りのような歓声が起きた。そんな中でも藍は悔しさをにじませるというよりも、落ち着いてこの日のプレーを振り返っていたように記憶している。

 今回はメジャー制覇にあと一歩及ばなかったものの、遠からず達成できそうな雰囲気を漂わせていた藍に、どうしても聞きたいことがあった。

 このころ、藍が愛読していたのが「夢をつかむ イチロー262のメッセージ」だった。2004年にメジャーの年間安打新記録「262本」を達成したイチローの名言を集めた本で、05年3月に出版されたものだ。同年に日本ツアーで6勝を挙げた藍を取材していた際には幾度となく「イチローさんの本の『○○』という言葉が参考になった」、あるいは「言葉に力をもらった」というコメントを聞いていた。

 この「全米女子プロ」が開催された06年は藍にとって米国に主戦場を移して最初の年で、春先に行われたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)ではイチローの活躍で日本が優勝した。

 そんな状況でもあっただけに、何か心に秘めて戦った言葉があるに違いない――。そう思って最終日のホールアウト後、一通りのメディア対応を終えた帰り際の藍に「日本で6勝を挙げた前年と何が変わったのか?」と聞いてみた。

 米国で大記録を達成したイチローの言葉から何らかのヒントを得たはず。それは本に記されたものではなく、この年のWBCの時に発せられた、何か新しいものかもしれない、と予想して。

 だが返ってきたコメントはまったく違った。

「強くなった、かな」

 もう、人の言葉の力を借りなくても戦っていける。そう思うと身長155センチの藍がとても大きく見えた。

 この後、08年にはパットの不調で低迷した時期もあったが、09年の「エビアン・マスターズ」(現エビアン選手権。当時はメジャー昇格前)で念願の米ツアー初勝利を挙げる。そして翌10年は開幕2戦で連続優勝するなど年間5勝を挙げ、日本ゴルフ史上男女を通じて唯一の世界ランク1位に輝いた。

 藍の登場で日本の女子ゴルフは試合数、賞金額ともに激増。その隆盛と藍の活躍を見て育った「黄金世代」(1998年度生まれ)が現在のゴルフ界を席巻している。まさに日本のゴルフの歴史を変えた存在だった。

 ☆みやざと・あい 1985年6月19日生まれ。沖縄県出身。ともにツアープロとなった聖志、優作の2人の兄の影響を受けて4歳からゴルフを始める。東北高(宮城)3年時に出場した「ミヤギテレビ杯」(2003年9月)で日本女子ツアー史上2人目のアマチュア優勝を果たし、翌10月にプロ転向。翌年の開幕戦でプロ初Vを飾るなど、日本女子ツアーで通算15勝、米ツアー通算9勝を挙げた。17年の「エビアン選手権」を最後に引退し、18年6月に結婚。現在は「サントリーレディス」の大会アンバサダーを務め、ジュニア育成に尽力している。