【カーリング女子】“育ての母”が語る藤沢五月「銅メダル」への軌跡

2018年02月27日 11時00分

銅メダルが決まり笑顔を見せる藤沢(左手前)

【韓国・平昌25日発】平昌五輪が17日間の日程を終えて閉幕した。日本選手団は金4、銀5、銅4の合計13個のメダルを獲得し、冬季五輪で過去最高の成績を残した。なかでも大ブレークしたのは、日本初の銅メダルに輝いたカーリング女子だろう。「もぐもぐタイム」「そだね~」などの流行語も生み出し、お茶の間に多くの感動を与えた。そんなカー娘の主軸として一躍名を上げた美人スキップ・藤沢五月(26)の秘話を“育ての母”が語った。

 閉会式に日本選手団は役員を合わせて130人が参加。スピードスケート女子500メートル金メダルで主将の小平奈緒(31=相沢病院)が旗手を務め、フィギュアスケート男子で2連覇を飾った羽生結弦(23=ANA)も笑顔で行進した。

 その中に24日のカーリング女子3位決定戦で英国を5―3で破った日本のLS北見、藤沢の姿もあった。この日の一夜明け会見では「最後の最後にメダルを取れたのは、今までチームでやってきたことが間違いではなかったと証明できた」と話し、閉会式でも感無量の表情だった。

 休憩中に軽食を取る「もぐもぐタイム」や北海道弁の掛け声「そだね~」に加え、準決勝の韓国戦では“眼鏡先輩”との美人スキップ対決も注目を集めた。劇的なメダル獲得が一層人気に火をつけ、日本ではもはや時の人。日本中を感動させたエースはどのように誕生したのか。

 藤沢の成長をひと際、喜ぶのが長岡はと美コーチ(64)だ。「五月は私も5年間、面倒を見たのですごいうれしいです。高校生の時にウチに下宿して本格的にやっていた。自分の娘みたいにね。そのころから『世界で活躍できるカーラーになりたい』といつも言ってましたから」と感慨深げに振り返った。

 藤沢はLS北見に移籍する前、2010年からの5年間を中部電力で過ごした。その時、指導していたのが長岡コーチだ。藤沢の原点はこの下積み時代にある。当時、藤沢は元プロ野球監督の野村克也氏(82)の著書を愛読するなど、スキップとしての基礎を磨くため無我夢中だった。

 壁には何度もぶち当たった。中でも苦しかったのが、11年に中国で行われたパシフィックアジア選手権。日本は4か国中4位とボロ負けし、藤沢は「石を投げるのが怖くなった」と話すほど追い込まれた。

「あの時はね、同じ部屋で結構やっつけちゃいましたから、私。高校を出てわずかですから精神的にもまだまだ子供でしたし、自分のことを客観視できないような、そんな感じでしたね」。海外勢に打ちのめされた藤沢を長岡コーチは慰めない。「人間的にもう少しキャパを大きくしていかないと、カーリングっていう競技はできないよ」。ドン底の藤沢はなんとか這い上がった。

 その後も藤沢は悩める日々を過ごす。中部電力を辞めて、LS北見に移籍を考え始めた時期。その時の心情を長岡コーチはこう明かした。

「勝てなくて、メンバーともうまくやれなくて、会社のあつれきもあったりして苦しかったと思う。中電で5年間、面倒見てもらったので会社を裏切って辞める、ということも悩んでいたと思う」

 LS北見ではスキップとしての才能が開花し、長岡コーチも「北海道でのびのび育ててもらってマリちゃん(主将の本橋麻里)にも感謝している」。だが、支えになったのは中部電力時代の経験。銅メダルは古巣への恩返しにもつながった。「彼女は『とにかく強くなりたい』という気持ちがあったので、絶対やってくれると思いました」

 カーリングの歴史を変えた藤沢は「世界一にも少しずつ近づいていく」と新たな目標を掲げた。3月には日本混合ダブルス選手権に平昌五輪代表の山口剛史(33=SC軽井沢ク)と組んで出場する。藤沢は頂点を極めるまで、さらに進化を続けていく。