【韓国・江陵23日発】喜びと悔しさの先に見えたものとは――。平昌五輪のフィギュアスケート女子フリーで、ショートプログラム(SP)4位の宮原知子(19=関大)は146・44点をマークし、合計222・38点で4位。SP、フリーと自己ベストを更新したが、メダルにはあと一歩届かなかった。坂本花織(17=シスメックス)も6位と大健闘。苦戦が予想される中で日本勢は揃って存在感を見せつけ、4年後の北京五輪での逆襲を誓った。

「五輪に魔物はいなかったです」。初出場でも持てる力を存分に発揮した宮原の表情は晴れやかだった。

 団体戦のSPで回転不足を取られたルッツ―トーループの連続3回転ジャンプはSPに続いてクリーンに着氷。「(3回転)サルコーが少し危なかったので、そこは課題かなと思います」と自己評価は満点ではなかったが「自分のベストは尽くせた」と振り返った。

 3連覇を果たした一昨年12月の全日本選手権後に左股関節を疲労骨折。世界選手権を含め、昨季後半は欠場を余儀なくされた。氷に乗れるようになっても、ジャンプの練習を再開するまでには時間を要し、精神的に苦しい時期も経験。「ここまで来られたのは先生方や家族、応援してくださる方々のおかげ。今日の演技で少しはありがとうございますの気持ちを伝えられたかなと思ってます」と感謝した。

 リハビリを行ったナショナルトレーニングセンターでは、今回の五輪でスピードスケート女子団体追い抜きの金メダルを獲得した高木菜那(25=日本電産サンキョー)らと知り合った。宮原の成長を支えてきた浜田美栄コーチ(58)はこの経験が大きかったと振り返る。

「他のスポーツの選手とかかわることで一回り大きくなったと思う。すごくいいお姉さんたちで知子は支えられていた。選手村でも一緒に過ごした人たちがメダルを取るところを目の当たりにしていい刺激にもなっていた」

 平昌でメダルを獲得する夢はかなわなかった。だが宮原は今大会を終え「五輪は自分のやってきたことを信じて思い切りいけば、楽しめる試合だと感じました」。北京五輪に向けて「4年後また戻ってきて今度こそメダルを取りたい」とリベンジをはっきりと見据えている。

 浜田コーチも「こんなにドンくさくても五輪に出られるんだと感心しました」と独特の表現で宮原の努力をたたえた。その上で今後のさらなる飛躍に向けて「作戦はもう立ててある。秘密だけどあるので、秘策はあります」と後押しする。3月の世界選手権(イタリア・ミラノ)から「次の4年」に向けての戦いをスタートさせる。