ついに氷上の女王がスケート靴を脱ぐ。バンクーバー五輪フィギュアスケート女子銀メダリストの浅田真央(26=中京大)が10日、自身のブログで現役引退を発表した。世界に数人しか成功していないトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を武器に、日本のフィギュア界の人気と実力の底上げに貢献。来年の平昌五輪に向けて意欲は衰えていないと思われたが、昨年12月の全日本選手権で「気力もなくなった」という。だが、引退の兆候はすでにあった。真央の真意、そして引退劇の舞台裏とは――。

 10日午後11時を回ろうとしたときだった。真央はブログを更新し、突然引退を表明した。世界選手権を3回も制し、バンクーバー五輪では銀メダルを獲得。その愛くるしいルックスも相まって常に注目を集め、フィギュアスケートという競技を国民的な関心事にした功績は大きい。

 それにしても、なぜこのタイミングでの発表になったのか。ブログによると、引退のきっかけとなったのは昨年12月の全日本選手権だという。この大会で12位に終わった真央は、世界選手権の代表に引っかかることすらできず「選手として続ける自分の気力もなくなりました」とした。

 フィギュア関係者の話。「3月の世界選手権で女子が獲得した枠は2枚。宮原知子(19=関大)ら若手が台頭する中、不調の真央が入るのは難しい。すると、目標だった平昌五輪も事実上無理で、引退は不可避でした。あとは発表のタイミングだけ。他の選手に迷惑がかからないよう、シーズンが終わった4月に入ってから発表することにしたのです」

 だが、引退の兆候はすでにあった。特にキーポイントとなったのが「2014年」だという。真央をよく知る関係者がこう証言する。

「集大成と位置づけていたソチ五輪はメダルには届かなかったものの、納得の演技で6位でした。続く世界選手権で優勝。その後1年間の休養を発表しますが、コーチの佐藤信夫氏(75)は『良い調子なので、もっと時間をかけてやろう』と言ったそうです。ところが本人としてはやり切った感が強く、休んでしまった。進退について問われたとき『ハーフハーフ』と言いましたが、とんでもない。引退するつもりだったんです。ただ、フィギュアが嫌いになったわけではないから、あんな回答になってしまった」

 真央は一度こうと決めたらテコでも動かない性格で知られる。佐藤コーチは真央の意見に従うしかなかったが、その間、ルールが変更されたほか、若手も急成長し、他の選手との差は開く一方だった現実はある。

「残念なのは、まだ戦える能力はあること」と話すのは某コーチ。「3月の世界選手権でイタリア代表にソチ五輪銅メダリストのカロリナ・コストナーが出場しました。彼女は30歳です。もう全盛期のジャンプを跳ぶことができません。しかし、華麗な演技でジャッジを魅了することができる。私は彼女とヘルシンキで話をしましたが『自分の持てるものを出せれば、それなりの評価が与えられる』と語っていたのが印象的でした。真央もジャンプにこだわらなければ勝負できたのではないか」

“ジャンプ偏重主義”に陥った昨今のフィギュア界は問題視されている。そういう意味でも、まだ活躍できる場はあったかもしれない。それでも「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」と明言したことは重い。様々なプレッシャーの中、日本フィギュア界をけん引した功労者をねぎらわない者はいないだろう。