フィギュアスケートの五輪2連覇・羽生結弦(26=ANA)が11日、東日本大震災から10年が過ぎた現在の心境を明かした。2011年3月11日午後2時46分。宮城県仙台市のスケートリンクで練習中、16歳の羽生を悲劇が襲った。スケート靴のまま屋外へ飛び出し、言葉を失った。家族4人で避難所生活を送りながら、羽生は自問自答を繰り返した。どれだけ勝とうが、跳ぼうが、笑おうが、あの日の傷は一生、消えることはない。悲しみ、苦しみ、痛み、葛藤、笑顔、感動…語り尽くせるはずのないすべての思いを、羽生は1084文字に押し込めた。

  ◇  ◇  ◇

 何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。

 あの日のことはすぐに思い出せます。

 この前の地震でも、思い出しました。

 10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。

 オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。

 何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろう。

 そんなことを考えると胸が痛くなります。

 皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。

 でも、たくさん考えて気がついたことがあります。

 この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…

 それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。

 痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。

 あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。

 忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。

 僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。

 それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。

 立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。

 最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。

 こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。

 数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。

 幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。

 本当に、10年間、お疲れ様でした。

 10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。

 まだ、癒えない傷があると思います。

 街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。

 まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。

 簡単には言えない言葉だとわかっています。

 言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。

 でも、やっぱり言わせてください。

 僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。

 頑張ってください

 あの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。

 本当に、ありがとうございます。

 僕も、頑張ります

 2021年3月 羽生結弦(原文ママ)