1992年バルセロナ五輪 米バスケ代表「ドリームチーム」誕生秘話 マイケル・ジョーダンの心が動いた瞬間

2020年10月07日 11時00分

表彰式でジョーダンはVサイン(ロイター)

【東スポ60周年記念企画 フラッシュバック(25)】「ドリームチーム」とはスポーツ界で最強クラスのメンバーを集めた、文字通り「夢のような」チームのことを表すが、この呼び方が初めて使われたのは1992年バルセロナ五輪での男子バスケットボール米国代表だった。“神様”マイケル・ジョーダン(29=ブルズ)やマジック・ジョンソン(32=レイカーズ)らを擁したスポーツ界史上最強のスーパースター軍団。本紙連載「フラッシュバック」では、本紙バスケット評論の京都ハンナリーズ松井啓十郎(34)がこの誕生秘話などを解説してくれた(年齢と所属はすべて当時のもの)。

「ドリームチーム」誕生のきっかけとなったのはバルセロナ五輪の一つ前、88年ソウル五輪での惨敗だった。

 米国は準決勝でソ連に76―82で敗戦。3位決定戦では78―49でオーストラリアを下して銅メダルを獲得したものの、五輪史上最低の成績に、バスケットボール発祥国のプライドはズタズタに切り裂かれた。ただ、当時の規定で五輪にはアマチュアしか出られなかったので、米国チームに現役NBA選手はゼロ。アマチュアの身分とはいえ、国の手厚いサポートを受けて競技に専念する「ステート・アマ」とも呼ばれたエリートを揃えた
ソ連に屈する結果となった。

 翌89年、国際バスケットボール連盟(FIBA)はプロ選手が五輪への参加ができるように規定を変更。「ドリームチーム」誕生への下地が整った。

 監督は89、90年にデトロイト・ピストンズを2年連続NBA王者に導いたチャック・デーリー氏(62)。米国の威信をかけて誰もが「最強」と認めるチームをつくるために、最初に声をかけたのはジョーダンだった。

 松井 出るか?と聞かれたジョーダンの回答は「他のメンバーによって決める」だったそうです。そこで、当時最高の選手を集めるために、まずはマジックや、ラリー・バード(35=セルティックス)といったベテランから声をかけていきました。

 他にもパトリック・ユーイング(30=ニックス)やチャールズ・バークレー(29=サンズ)、ジョーダンとともにブルズをけん引していたスコッティ・ピッペン(26)といった超豪華メンバーが揃ったことでジョーダンも参加を決意した。

 松井 ジョーダンは84年のロス五輪にも出場して金メダルを獲得しているのですが、その時とはレベルが違う。さらにソウル五輪で米国が負けたリベンジを狙う状況は「勝負師」のジョーダンの心をくすぐるのにもってこいでした。

 こうして12人が選ばれたが、実力がありながら選外となった選手がいた。それがアイザイア・トーマス(31)。デーリー監督にしてみれば、自分が率いるピストンズのエースだったにもかかわらず、ジョーダンと折り合いが悪いことが理由でメンバーに入らなかった。

 こうしてジョーダンを中心にしてスタートしたチームだが、発足早々に“事件”が起こった。NBAのスーパースター11人とデューク大の学生だったクリスチャン・レイトナー(22)からなる「ドリームチーム」に敵などいないと思われたが、最初の練習試合でなんと大学生選抜に敗れた。

 松井 選手が皆、個人プレーに走ってしまったことが敗因でした。試合は非公開で、終了後にメディアが来た時はスコアボードも消されて負けたことがわからないようになっていたそうですが。

 スーパースターであると同時に強烈な個性の持ち主の集団。これをどうまとめるかがデーリー監督にとって最大の課題だった。

 松井 この敗戦後に「君たちはいい選手かもしれないが、一つにならないと勝てない」と言ったそうです。ある意味、負けたことで狙い通りにそのことを早く気づかせることができ、次の試合ではコテンパンにやっつけて、チームがより一つになりました。

 クリス・ウェバー(19=ミシガン大→ピストンズなど)やグラント・ヒル(19=デューク大→サンズなど)といった、その後NBAでスターとなる選手たちに圧勝したチームはモナコでつかの間のバカンスを経てバルセロナ入り。その“待遇”は桁違いだった。

 松井 相部屋の選手村にはNBAのスターは入れません。リオ五輪では選手と家族用にクルーザーを2隻チャーターして話題になりましたが、バルセロナではドリームチーム用のホテルを新たに建てたんです。

 こうして始まった五輪では、ドリームチームは異次元の強さを発揮する。7月26日の初戦でアンゴラに116―48で圧勝。続くクロアチア戦も103―70で勝利したが、ここではちょっとした見ものがあった。

 松井 クロアチアのトニー・クーコッチという選手をブルズが獲得する、という噂があったのですが、この話を進めていたのが当時ジョーダンが嫌っていたGM。なぜ獲るんだ?と憤ったジョーダンはチームメートに「自分とピッペンで抑える」と言い切り、実際に欧州ナンバーワン選手を1桁得点しかさせませんでした。

 思わぬ形で“NBAの洗礼”を浴びたクーコッチだが、決勝では意地を見せて20得点。93年にブルズに加入、95~96シーズンからの3連覇には主力として貢献した。

 ドリームチームはバルセロナ五輪での8試合すべて3桁得点(平均117.3得点)で、平均43.75点差をつけた。準決勝で対戦したリトアニアにはソウル五輪で米国を倒したソ連の主力もいたが、いきなり34―8とリードし、最後は127―76で圧勝した。

 松井 スタメンが下がってもオールスター選手が出てくる。すべての試合でプロと高校生ぐらいの差を見せつけ、あまりの強さに相手の選手が試合中に写真を撮っていたこともありました。

 米国1強だった当時と勢力図が様変わりした現在、世界ランクで2位にいるのはスペイン。これについて松井は「ドリームチームの活躍を目の当たりにしたことがその後の成長につながったのだと思います」と分析する。

 これ以上ない豪華なメンバー構成で、圧倒的な強さでインパクトを与えたバルセロナ五輪での男子バスケットボール米国代表。その後さまざまなスポーツで「ドリームチーム」は名乗られているが、ジョーダンやマジックを擁したチームを上回る存在は、もう現れることはないかもしれない。

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