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夏の甲子園史上初の完全試合まであと1人でまさかの死球…元西武、日本ハムの新谷博が振り返る“あの一瞬”


【気になるアノ人を追跡調査!!野球探偵の備忘録】今夏、夏の甲子園は100回大会を迎えるが、その中で一度も達成されていない記録のひとつが完全試合だ。1982年夏、その完全試合に最も近づき後にプロでも活躍した新谷博(53)が、あと1人に与えた“世紀の死球”とその後の激動の野球人生を振り返った。

「毎回ベンチで『まだパーフェクトだぞ』というのは話してたけど、史上初というのは知らなかった。知らなかったから良かったんです。仮に知ってたら、ビビってもっと前にフォアボールを出してますよ」

 投手陣の揃う佐賀商で、入学当初は「補欠にも入らなかった」という新谷だが、2年のときにある機会が巡ってくる。投手2人が風邪で揃って練習を欠席。人数合わせで入ったノックでの動きが、たまたま見にきていたOBの目に留まった。

「そこから監督に目をつけられて、鬼のようにしごかれた。他の選手がアップしてるなか、1人だけ個人ノックを浴びせられて、1時間もたつともう立てない。立てなくなったら今度は腹筋で、100回やるごとに角度をつけて、回数も増やしていく。100回から始めて、200、300…。1600回になるころにようやく解放されて、そうするともう歩けない。そこからようやく全員練習が始まって、終わったらまた腹背筋。毎日監督が来るまでトイレで震えてました」

 3年の夏は圧倒的な強さで佐賀大会を制し、迎えた甲子園初戦の木造高校(青森)戦。新谷は高校野球史に残る大記録に、あと一歩まで迫る。

「絶対に打たれない自信があったから、大して興奮もしなかった。客席が騒がしいから『何を騒いでんだろ。ああ、次の試合が池田だから、池田が来たのか』と思ったくらい」

 初回からノーヒット、無四死球を続け、迎えた27人目の打者。完全試合達成まであと1人というところで、内角を攻めたボールは打者の右腕に当たってしまう。次打者を打ち取り、結果的にはノーヒットノーラン。“世紀の死球”に甲子園は大きなため息に包まれたが、悔しさを感じることはなかったという。

「当てた瞬間は『しまった』というよりも、謝らないとという感じ。当時は佐賀の田舎者だったから、甲子園に来ただけで満足しているところがあった。あれだけ練習させられて監督のことも大嫌いだったから『早く終わらないかな』とばかり考えていた」

 その年のドラフトではヤクルトから2位指名を受けたものの、監督の一声で駒大へ。この選択がその後の人生を大きく狂わせることになる。

「高校からプロに入って成功するんだったら、大学から行っても(ドラフトに)かかるだろうと思っていた。そしたら3年の終わりにけがをしてしまって。そうなると高校のときのドラ2が重荷でね。当然ドラフトにもかからず、そのままイップスになっちゃった」

 卒業後は日本生命に進みプレーを続けたが、置きにいく球しか投げれない、力を入れるとあらぬ方向に飛んでいく…。精神的にも追い詰められたイップスから復活したのは、ささいなことがきっかけだったという。

「ぎっくり腰をやっちゃって、10日ぐらい練習を休んだんです。それが治った直後の練習で、アウトコースに1球目を投げたら、バッターが空振りした。その瞬間ですね。『野球ってこんな簡単やったんや』と思い出したのは」

 完全復活を遂げると1年半後に西武に入団。高卒ドラフトからはすでに9年の歳月がたっていたが、27歳でプロ入りすると主に先発として10年間で54勝を挙げた。

「高校から入ってれば、記録的にはもっといいものを残せたかもしれない。通算勝利数とかね。でも記録には興味がなかった。野球って相手がいるし、完全試合も勝利数も、たまたまの巡り合わせじゃないですか」

 引退後に女子野球の監督を引き受けたのも“たまたま”一番にオファーがあったから。それから10年以上がたった今も、変わらぬ指導を続ける。

「僕にとってはただのデッドボール、そんなに大したことじゃない。野球人生の1ページ? ありがたいことに、1ページにも満たないくらい充実した野球人生を送らせてもらってます」

 偶然に翻弄され続けた激動の野球人生。目前で消えた完全試合は、歴史の1ページにはなれど、新谷にとっては、ただそれだけにすぎない。

 ☆しんたに・ひろし 1964年7月14日生まれ、佐賀県佐賀市出身。小学3年生のときに本庄少年野球団で野球を始める。城西中では軟式野球部に所属。佐賀商に進学し3年生時に夏の甲子園で3回戦敗退。同年のドラフトでヤクルトから2位指名を受けるも拒否して駒大へ。卒業後は日本生命でプレー。92年にドラフト2位で西武入団。94年に最優秀防御率(2.91)に輝く。2000年に日本ハム移籍。02年に現役引退。引退後は筑波大学大学院でコーチングを学び、06年に尚美学園大女子野球部の監督に就任。08年、10年に投手コーチ、12年には監督としてマドンナ・ジャパンを世界大会3連覇に導く。183センチ、85キロ。右投げ右打ち。

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