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15年センバツで“聖地”に登場 甲子園初の外国人審判が見る夢


目黒・大円寺でセーフジャッジのポーズをとるスジーワ氏

【気になるアノ人を追跡調査!野球探偵の備忘録】2015年春のセンバツ、甲子園のスコアボードに見慣れぬカタカナ表記の名前が記された。甲子園史上初めてとなる外国人審判員、スジーワ・ウィジャヤナーヤカ氏(33)。母国・スリランカの野球発展のため、海を渡り、はるか異国の地・日本で一から野球を学んだ男が、マスク越しに見た聖地の景色と今後の壮大な夢を語った。

「最初は難しかったですね。でも、できないことができるようになるのは楽しい。私の人生はチャレンジの連続です」。中学までクリケットに没頭していたスジーワ氏が野球と出会ったのは、高校1年生のとき。複数あるクラブ活動からクリケットと似ているという理由で始めたが、徐々にその魅力にのめりこんでいった。そして、青年海外協力隊で野球を教えるため、スリランカを巡っていた植田一久氏との運命的な出会いが訪れる。

「植田さんからいろんなことを教わりました。キャッチボールを訳すと、多くの人は『投げるボール』と思うかもしれませんが、正しくは『捕るボール』。相手が捕りやすいように投げてあげるんですね。思いやりの心です。日本人はバントをよくしますが、バントは仲間のために、と思う心。ベースボールは体、野球は心でやるんです。私が学んだのはベースボールではなく、野球だった」

 野球を通じて日本の心に興味を抱いたスジーワ氏は日本への留学を決意。言葉もわからぬまま海を渡り、大分・別府市にある立命館アジア太平洋大に入学したが、苦難の連続だった。「大学では一番下のクラスで、半年後の試験で4コマ落ちました。お金がなくてアルバイトを受けたけど、受からない。大学の野球部はレベルが高くてついていけない。諦めて帰ろうかと思ったけど、自分にうそはつけないです。プレーヤーが無理でも審判ならできるかもしれない。道はひとつじゃないですから」

 先に日本に留学していた姉に生活費を工面してもらい、右も左もわからないまま審判員の道へ。初めて参加した審判講習会ではジーパンで現れ、周囲から「なんだアイツは!」とあきれられたのも、今はいい思い出だ。「日本語も審判も、できるようになったのは日本の先生のおかげ。普通は2~3回教えてダメなら、仕方ないとなりますよ。日本人は2~3回教えてダメなら、なんで4回教えないんだ、と考える。5回教えてダメなら教え方が悪いと考える。これはすごい考え方ですよ」

 福岡から大分の別府まで毎週、車で通い、草野球や小学生の試合でジャッジを磨いた。10年には早大・斎藤佑樹(現日本ハム)が出場した世界大学野球選手権で国際審判も経験した。大学野球で神宮、社会人野球で東京ドームにも立った。だが、一番の憧れは甲子園だった。10年春のセンバツ、父と一緒に初めて試合を観戦した聖地に心を揺さぶられた。それから5年。大学卒業後、福岡県内のホテルに勤める傍ら、福岡高野連で審判員を務めていたスジーワ氏に千載一遇のチャンスが巡ってきた。

「私が甲子園に立てたのは“審判のバントプレー”があったから。甲子園の審判は数年に一度、8県の代表しか参加できない。あの年は福岡の157人の中から1人だけ。みんなが私を行かせてくれた。『スジーワを行かせたら、アジアの野球の力になる』と、私に譲ってくれたんです」

 マスク越しに見た聖地の風景は、涙が出るほどうれしかったという。高野連からの通達でスタンドで国旗を掲げることは禁じられていたが、親しい仲間が国旗入りのユニホームを着て駆けつけてくれた。1回戦の東海大四―豊橋工戦では、二塁走者が三塁ランナーコーチと接触する珍しいプレーに、迷わず走者アウトを宣告。「緊張しっぱなし」と振り返る大舞台でも、冷静に好ジャッジを下した。

 聖地に立った経験を、母国スリランカに還元するのが今の使命だ。使われなくなった野球道具を集めコンテナで送る一方で、日本とスリランカの国交正常化60周年の節目であった12年には、南アジア初となるスリランカ球場の建設に携わった。自らスリランカのスポーツ大臣に手紙を送り、土地を確保。建設費2000万円を工面するため、勤め先のホテルの社長に頭を下げた。「『野球のこともスリランカのことも知らない。でも、スジーワのためなら』と500万をポケットマネーで出してもらった。日本政府からも支援をもらって、その年の12月23日、突貫工事で何とか60周年に間に合ったんです」

 その1年後には、その球場で南アジア各国の指導者を集め、審判講習会を開催。今度はスジーワ氏が教える側になった。「相手のために」。スリランカの高校生が野球を通じて知った日本の心が、わずか10年で南アジアの野球を動かしたのだ。

 現在は審判業を続けながら、本業のホテルマンとしては地区長として200人近い部下を指導している。そんなスジーワ氏の新たな夢は20年東京五輪での審判だ。「日本の心を世界に発信したい。私がようやく、日本に恩返しできるチャンスですから」。野球を通じて日本とスリランカの懸け橋から、日本と世界の懸け橋へ。スジーワ氏の挑戦はまだ終わらない。

 ★スジーワ・ウィジャヤナーヤカ 1983年7月29日生まれ、スリランカ・ガンパハ出身。高校1年のときに野球を始める。2004年、タイ・バンコクで行われたアジアベースボールクリニックにスリランカ代表として出場、投手としてMVPに輝く。高校卒業後、専門学校や銀行勤務を転々。06年に来日し、立命館アジア太平洋大に入学。大学卒業後、福岡県内のホテルに勤める傍ら、10年に福岡高野連に審判員として登録。年間100試合近くの審判をこなし、15年春、外国人として初めて甲子園の審判員を務めた。16年から宮崎に移り、現在もホテル勤務と審判員を精力的に続ける。182センチ、82キロ。

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