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立浪氏「大豊さんとしゃべる時が一番安らげた」


沈痛な表情の立浪氏(右)と井上氏

 台湾出身で中日、阪神両球団の4番打者を務めた大豊泰昭氏(本名・陳大豊)が18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去した。51歳だった。

 大豊氏は台湾・華興高から名古屋商大、中日の球団職員を経て1988年のドラフト2位で中日入団。王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)に憧れ、1本足打法で94年には本塁打王、打点王の2冠に輝いた。98年から3シーズン、阪神でプレーし、2001年に中日復帰、02年に現役引退。通算成績は1324試合、打率2割6分6厘、277本塁打、722打点。

 同じ台湾出身の先輩で89年から96年まで中日で一緒にプレーした郭源治氏は「真面目すぎてリラックスができない。もうちょっとふざけることができれば良かった」と話した。昨年9月に電話で話した際には「もうダメですわ」と大豊氏は弱音を漏らしたそうで「そんなこと言うな。弱気になってはいけない。頑張ってください」と励ましたという。

 87年のドラフト1位で入団した立浪和義氏(現評論家)は球団職員となった大豊氏と同じ年に合宿所「昇竜館」(当時は西区)に入寮した。「しょっちゅう部屋に行き、わがまま放題をしました。当時の僕は18歳。一軍でプレーしていたので周りは先輩ばかり。でも、大豊さんは気軽に話しかけてくれた。寮で大豊さんとしゃべる時間が唯一安らげるホッとできる時間だった」。驚かされたのはその食欲。「とにかくよく食べる。プロ野球はこれだけ食べなきゃいけないのかなと思った。体も立派だった」と振り返った。

 一緒にプレーをした井上一樹氏(現評論家)は「その無類の食欲と強い体がペーペーの時から印象がある。大豊さんのようにあれぐらいにならんといかんと目標的な人だった」と話し、山本昌は「僕の全盛期の93、94年に大活躍をされた。一緒に悔しい思いもした。いつも会うと励ましてくれた。悲しいです」とかつての戦友との突然の別れを惜しんだ。

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