最高の駆けつけ一杯――。15日の「第1回さいたま国際マラソン」(さいたまスーパーアリーナ発着)で日本人最高の2位に入った吉田香織(34=ランナーズパルス)がレース後、市民ランナー仲間と祝杯を挙げた。リオデジャネイロ五輪マラソン女子の代表選考レースの同大会で吉田はアツェデ・バイッサ(28=エチオピア)に約3分遅れの2時間28分43秒でゴールし、代表候補に。市民ランナーとしての活動を応援してくれた人たちとジョッキを交わす、珍しい光景も見られた。

「おいしいですね。大好きなんです」

 ビールをほぼ飲み干したジョッキを手に、吉田は祝杯の味を語った。

 フィニッシュから4時間弱余りが過ぎた午後3時半ごろ、発着点近くの居酒屋「魚民」を黒いドレス姿の吉田が訪れた。数十人の市民ランナーたちに「飲みましょう」と声をかけ、乾杯。

 集まったのは吉田が所属する「ランナーズパルス」に関連したランニング仲間で、一般参加でこの日のレースに出場していた。スケジュールの都合で吉田は十数分ほどで店を出たが、慌ただしい中で格別の駆けつけ一杯となった。

 かつて雪印で活躍した打越忠夫コーチ(50)によると、終了間もなく居酒屋での祝杯は珍しいのではという。実業団では駅伝優勝や会場近くに社屋がある場合、祝勝会などを開くこともある。吉田との居酒屋交流に出席者からは「市民ランナーならでは」との声も聞かれた。

「市民ランナーの方々と練習して、私もパワーを受けた」と振り返った吉田。安定したフォームで先頭集団に残り続け、中里麗美(27=ニトリ、9位)や小田切亜希(25=天満屋、8位)が早々とついていけなくなり、元日本最高記録保持者・渋井陽子(36=三井住友海上、4位)も30キロ地点を前に遅れる中、実業団選手に先着した。道中の往復箇所では後からスタートした一般ランナーから声援が飛ぶ。「ランナーズパルスの練習仲間もかなり走っていた」と吉田を応援してきた吉木稔朗氏(61)は話す。

 埼玉の進学校・川越女子高を2000年に卒業し、シドニー五輪金メダリスト高橋尚子らを擁する積水化学へ。「Qちゃん2世」と呼ばれるもマラソンでの世界大会への出場はかなわず、資生堂やクラブチームへと移籍を重ねた。そして今大会直前、旧知の吉木氏が経営する創芸社のランニングに関連した雑誌・ネット媒体「ランナーズ・パルス」の所属となった。

 この間に起きたのが13年に明らかになったドーピング問題。前年のホノルル・マラソンにおける薬物検査で持久力を高める成分について陽性反応を示した。貧血治療のため本人が知らされずに同成分を含む薬物を投与されたが、注意が足りなかったとして同年1月から2年間の資格停止処分を受けた。

 走れなかった2年間、陸上への情熱が「薄れていた」(吉田)時期も。フィジーに半年間滞在したり、運転免許や旅行業の資格を取得した。一方で、「結果を残さなければ、ずっとそういう目で見られる」と発奮。今年3月のソウル国際マラソン(11位)で復帰。4月から1993年世界選手権5位の打越コーチの指導を受け、8月の北海道マラソンで2位に。今回、10年シカゴマラソンを約1分上回り、自己記録を塗り替えた。創芸社の社員として業界関係者との打ち合わせや雑誌の企画・執筆をこなす。昼間に働き、午前や夜に埼玉県内などで練習。「自分一人なので、自分が頑張らなければとヒシヒシと感じる」。実業団時代とは「気合が違うかな」とも。

 女子のリオ五輪代表は8月の世界選手権で入賞した伊藤舞(31=大塚製薬)が内定。残る2枠を吉田と来年の大阪国際、名古屋ウィメンズの上位選手が争う。さいたまは起伏に富んだコースと小雨という条件だったものの、日本陸連設定記録の2時間22分30秒に届かず、後続2大会で吉田を超える記録が相次ぐ可能性もある。

 陸連はペースメーカーが離れた30キロから吉田がバイッサに3分差をつけられたことに物足りなさを示す。本人も「選考に上るにはどうなのか」と漏らしたが、男子の川内優輝(28=埼玉県庁)に続き、女子でも“市民ランナーの星”が生まれた。