【パラヒーローズ】走り幅跳び・中西麻耶 大きい夢を見る勇気になってくれたら

2020年06月12日 11時00分

中西は1年延期となった本番へ大きくジャンプする

【Restart パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(6)】誰よりも輝きを放つ女性がいる。東京パラリンピックの延期が決まっても、パラ陸上女子走り幅跳び(T64)の中西麻耶(35=阪急交通社)の心の炎は消えていない。4度目のパラリンピックで悲願の金メダルを狙うヒロインは、多くの壁を乗り越えてきたからこそ伝えたいものがある。

「赤ちゃんのころ、ハイハイしていたのにいきなり立って、そのまま歩いてこけたらしくて(笑い)」。想像を超える活発さから、両親が「手に負えない」と嘆くほど元気いっぱいの少女だった。中学でソフトテニスに出合うと、高校時代は地元の名門・明豊高校でプレー。卒業後も国体出場を目指し、練習に明け暮れていた矢先に悲劇が襲った。

 2006年9月、仕事中の事故で右脚を失った。一時は「スポーツができないくらいだったら、死んだほうがいいのでは」と考えることもあったというが「自分にとってスポーツは大事な存在だったんだなあって気づいた。スポーツでやっていく」と覚悟を決めた。もともとは義足でテニスを続ける予定だったものの、リハビリの一環で行っていた陸上トレーニングで関係者に誘われ、パラ陸上の世界へ足を踏み入れた。翌年には日本選手権の100メートル&200メートルで優勝。08年北京大会への出場を決めるなど、順調な滑り出しを見せたかに思われた。ところが、当時は現在ほどパラアスリートへの支援態勢が整っておらず「アルバイトを3つも4つも掛け持ちしないと生活できないときがあった」。12年ロンドン大会の前には、活動資金を得るためにセミヌードのカレンダーを制作したこともある。それでも「プロで頑張るんだ」と努力を続け、19年世界選手権の走り幅跳び(T64)で金メダルを獲得。今では多くのスポンサーに支えてもらいながら競技に励んでいる。

 奈落の底を知るからこそ「思ったように競技生活ができない時期も過ごしたし、才能があるわけでも、いい環境で育ったわけでもない本当に普通の選手が活躍することによって、大きい夢を見る勇気になってくれたら」と闘志を燃やす。新型コロナウイルス禍が暗い影を落とす日本社会に希望を届けるべく、不屈の女王は金メダル街道を突き進む。

☆なかにし・まや=1985年6月3日生まれ。大分県出身。21歳の時に仕事中の事故で右脚を失ったが、退院後に始めた陸上でパラリンピックに3大会連続出場(北京、ロンドン、リオ)を果たす。2019年には世界選手権の走り幅跳び(T64)で金メダルを獲得し、東京パラリンピックの代表に内定。同年大みそかの「第70回NHK紅白歌合戦」では審査員を務めた。座右の銘は「人生楽勝」で、楽しく笑って生きようとの意味が込められている。158センチ。