瀬古利彦氏、増田明美氏が小出義雄氏を悼む

2019年04月25日 16時30分

小出氏(左)は2000年のシドニー五輪メダルセレモニーにひげを剃って現れ、高橋になでられた

 明るく豪快な名伯楽だった――。陸上長距離の指導者として知られる小出義雄氏が24日、肺炎のため死去した。80歳だった。家族らによると、3月下旬から入院していたが、今月23日夜に容体が急変し、24日午前8時5分に千葉・浦安市の順天堂大浦安病院で亡くなったという。2000年シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子さんら数々の名ランナーを育てた小出氏に、陸上関係者からは悼む声が相次いだ。

 日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダー(62)は東京都内で「残念だし、悲しい。本当に日本のマラソン界を救ってくれた」と悼んだ。時間や財産を育成に費やし、明るいキャラクターで注目を浴びた先人を「24時間、マラソンのことばかり考えていた。苦しい、つらいというイメージがあったが、見ていて楽しいというのが小出さんと高橋尚子さん」と称賛した。

 その教え子たちと対照的に男子マラソンは低迷し、小出さんから「男子はな、練習が少ないんだよ」と言われたことも。「悔しかったけど、やったらそれだけ結果が出るんだと思った」と振り返った。

 1984年ロサンゼルス五輪女子マラソン代表でスポーツライターの増田明美氏(55)は「みんなを笑いで包み込んでくれた。あれほど陸上競技が好きな人はいなかったんじゃないか」と悼んだ。同じ千葉県出身で、中学時代に勧誘されたことも。3月末、病院に見舞いに行ったそうで「延命治療はしない」と口にする姿から「(別れが近いと)覚悟はしていた」と話した。

 アジア選手権でドーハ遠征中の日本陸連の河野匡・長距離マラソンディレクター(58)は「女子マラソンのレベルアップ、人気向上の立役者。東京五輪まで見ていただきたかった」と語った。今年9月の五輪マラソン代表選考会「グランドチャンピオンシップ(MGC)」後、本番へ助言してもらう機会を設ける予定だったという。「全てが金言。激励してほしかった」と惜しんだ。

 ☆こいで・よしお 1939年4月15日生まれ。千葉県佐倉市出身。山武農高(現大網高)を出て一度は家業を継ぐなど働いた後、順天堂大に進んで箱根駅伝に3度出場。佐倉高や市立船橋高などで教員を務めてから88年に実業団のリクルートの監督に就任。マラソンで92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダルを獲得した有森裕子らを育てた。全日本実業団女子駅伝も93、94年に制覇。積水化学に移籍した97年に世界選手権で鈴木博美を優勝に導き、2000年シドニー五輪では高橋尚子が陸上の日本女子で初の金メダル。01年に佐倉アスリート倶楽部を設立し、02年に積水化学を退社。04年創部のユニバーサルエンターテインメント(当時アルゼ)などから指導を委託され、同チームは12年に同女子駅伝を制した。