死去・小出義雄氏 情熱のかけっこ人生「足跡」とある「約束」

2019年04月25日 16時30分

現場一筋の人生を全うした小出氏。その考えは日本、世界を見据えていた(01年1月、ビッグスポーツ賞で)

 2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子氏(46)らを育てた小出義雄氏が24日、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。80歳だった。常識にとらわれない指導法で1992年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダルを獲得した有森裕子氏(52)ら名選手を次々に輩出。体調不良で指導の第一線から退きながらも、来年の東京五輪を前に“復帰”することも宣言していたという。マラソンに情熱を傾け、本紙には革新的な発想も明かしていた名伯楽の知られざるエピソードを大公開――。

 希代の名伯楽は、令和の幕開けを待つことなく平成の最後に旅立った。日本の女子マラソン界を一流に引き上げ、世界と互角以上に戦える礎を築いた功労者。今では当たり前となった高地トレーニングを取り入れ、2000メートル級で練習しても効果が得られるにもかかわらず、あえて3000メートル級の超高地で練習させて医科学の専門家から警鐘を鳴らされたこともあった。だが「誰もやったことがないことをやらないと世界一になれない」と信念を貫き、数々の名選手を育て上げた。

 指導のモットーは「褒めて伸ばす」。これが有森氏の五輪2大会連続メダル、鈴木(現伊東)博美氏(50)の1997年世界選手権優勝、そして高橋氏のシドニー五輪金メダルにつながったのは誰もが認めるところ。そんな偉大な恩師の訃報を受け、教え子たちは感謝の念を示した。

 都内で取材に応じた有森氏は「ああいう体調でよく監督は頑張ったなと思います」と闘病をねぎらった。時折言葉を詰まらせながら「ケンカもしょっちゅうしたけど、手のかかるアスリートに困っていた監督の顔がよく浮かびます。本当に感謝しかない」と目を赤くした。高橋氏はマネジメント会社を通じて「今の自分があるのは小出監督のおかげ」とコメント。「根気よく指導してくださって、一緒に走ってくださって、大切な時間を費やしてくださって、ありがとうございますと何度言っても伝えきれないほど感謝の気持ちでいっぱい」と思いを表現した。

 3月下旬に心臓の具合が悪化して倒れ、同月末で指導者からの勇退を表明していた小出氏にとって、2004年から15年間選手指導を委託されていた実業団のユニバーサルエンターテインメントが最後の指導先となった。12年には東日本実業団対抗女子駅伝でチームを優勝に導いたが、17年のクイーンズ駅伝では、メンバーのドーピング違反で優勝が取り消され、大きなショックを受けて体調を崩したという。

 近年は入退院を繰り返し、心臓の手術も受けてペースメーカーも装着していた。それでもユニバーサルエンターテインメントの関係者によると「3月の26、27日ごろまでは現場で指導されていた」ため、驚きを隠せなかった。そんな中で、小出氏はこんな約束をしていたという。

「会社と会社っていう関係はいったん終わるけど、元気になったらまたボランティアで見るからさ」

 現場にこだわり、東京五輪までに復帰することに執念を燃やしていた小出氏。「かけっこ」を愛した名伯楽は偉大な足跡を残し、その生涯に幕を下ろした。