【平昌五輪記者座談会・前編】平昌五輪で史上最多13個のメダルを獲得した日本選手団が26日、成田空港に帰国した。フィギュアスケート男子で連覇を飾った羽生結弦(23=ANA)、選手団主将でスピードスケート女子500メートル金メダルの小平奈緒(31=相沢病院)ら“主役”たちは晴れやかな表情を見せたが、大会の舞台裏で本紙取材班はさまざまな場面を目撃してきた。絶対王者を追いかけるオバさまたちの怪行動、メダルセレモニーの秘密…。大会中に記事にはできなかった平昌五輪のマル秘話を前後編2回にわたってお送りする。

 記者A:平昌五輪のハイライトはやっぱりフィギュア男子で羽生の連覇かな?

 記者B:雪と氷に分かれていた本紙取材班が全員揃ったのは、カーリング女子の準決勝とフィギュアの男子フリーだけでしたからね。

 カメラマンC:羽生ファンのオバさまたちの熱気がすごくて、韓国にいる雰囲気じゃなかったですね(笑い)。

 記者B あの日は旧正月で大渋滞。アイスアリーナのある江陵から20キロ離れたメダルセレモニーの会場まで3時間もかかった。間に合わないと思ったオバさまたちがバスを降りて、高速道路を走っているのを目撃したよ! ギリギリで着いたファンはフェンス越しに大型ビジョンの羽生に向かって「おめでとう~」と叫びだすし…。“羽生狂騒曲”恐るべしだった。

 記者A:でも、なんでわざわざ別の場所でメダルを渡すか知ってる?

 カメラマンD:スキーなどの屋外種目で天候が荒れるとセレモニーができないから…って聞きましたけど。

 記者A:それもそうだけど、一番大事なのは「選手たちに各国の公式ウエアを着て表彰台に上がらせること」なんだって。ある関係者がこっそり教えてくれた。スキーやスノーボードはその場で着替えるのが大変だし、種目によっては他にもウエアがあるだろ。夏季の種目は大抵、すぐに着替えられるから、その場で渡しているけどね。

 カメラマンC:日本選手団の場合、公式ウエアは「アシックス」。羽生や小平が会場で羽織っていたのは日本スケート連盟が用意した「ミズノ」のジャージー、と確かにバラバラでしたね。

 カメラマンD:以前、社内で古い写真の整理をしているときに見た、今回の日本選手団副団長・山下泰裕氏(60)は柔道着のまま、金メダルをもらっていましたけど?

 記者A 古いなあ、山下先生の金メダルって、1984年ロス五輪の話だろ。この30年の間にそれだけ五輪の商業化が進んでいるんだよ。

 カメラマンD:スキーでは複合の渡部暁斗(29=北野建設)のほか、スノーボード・ハーフパイプ男子の平野歩夢(19=木下グループ)、ジャンプ女子の高梨沙羅(21=クラレ)と期待された選手がメダルを獲得しましたが、金にはあと一歩届きませんでしたね。

 記者B:日に日に顔色が悪くなっていったのが、全日本スキー連盟の皆川賢太郎競技本部長(40)だった。98年長野五輪以来のスキー競技での金メダル獲得を後押ししようと改革を行ってきたのに、まさかの金メダルゼロ。終盤には「神頼みがちょっと足りなかった…」とボヤいていたよ。

 カメラマンD:スノボでスロープスタイルとビッグエアに出場した鬼塚雅(19=星野リゾート)は強風の中で行われたスロープスタイルで失敗してから「五輪恐怖症」にかかったかのように、元気がありませんでした。

 記者B:競技後「五輪あまり好きじゃないな」と発言して、隣にいた日本オリンピック委員会(JOC)関係者は青ざめていた。さすがにマズいと思ったのか、ビッグエアの時には「嫌いじゃないです。あの時だけです」と釈明してたけど。

 記者A:いろいろあったけど、冬季五輪史上最高の13個のメダルを獲得したんだから、日本選手団は大活躍。史上最強で間違いないよ。