【韓国・平昌12日発】フリースタイルスキーの男子モーグル決勝、ダークホースの原大智(20=日大)が82・19点で銅メダルを獲得した。今大会の日本勢メダル第1号。モーグルでは2002年ソルトレークシティー五輪での女子の里谷多英以来、男子では初のメダルとなった。この日が世界大会では初の表彰台だったように、完全ノーマークだった原の大躍進には何があったのか――。

 男子モーグル初の表彰台に上がったのはまさかの伏兵だった。メダル争いが期待された世界選手権2冠の堀島行真(20=中京大)や遠藤尚(27=忍建設)が決勝2回目で脱落。6人しか出場できないスーパーファイナルと呼ばれる決勝3回目では課題としていたエアをミスなくこなすと、自慢のスピードを生かして最後まで滑り切った。

 原はレースを振り返り「失敗する気がしなかったので、楽しくて早く滑りたいとしか思ってなかった。何だか知らないけど、決勝を滑るころには楽しくて楽しくて仕方なかった」とコメント。その上でメダルについて「頭が真っ白になった。これが初めての表彰台。もう心がいっぱいです」と言葉をしぼり出した。

 ウインタースポーツ選手には珍しい東京・渋谷出身。広尾中学校を卒業後、カナダにスキー留学し、W杯デビューするも、これまで2度の4位が最高だった。五輪代表には選出されたものの、下馬評は代表選手4人の中で最も低かった。そんな原が本番で躍進した“原動力”には、2つの出来事があったという。

 一つは13歳から指導を受けていた恩師でモーグル選手だった平子剛さんの死だ。2013年8月、27歳ながら心筋梗塞でこの世を去った。弔問に訪れた原は「絶対にオリンピックに出てメダルを取ります」と宣言したという。そこから努力を重ね、14―15年シーズンには、全日本選手権を初制覇し、トップ選手としての道を歩み始めた。

 もう一つはライバルの存在だ。学年が1つ下の堀島が昨年から急成長。冬季アジア大会と世界選手権を制覇すると、原は嫉妬と自身のふがいなさに「1か月はふさぎ込んだ」。成績も伸びなくなり「つらかった…。昨年のことは思い出したくない」と話すほどの“黒歴史”になったという。

 平昌五輪前には、「日大スポーツ」の取材に「メディアの関心は堀島選手ばかりになっていて、彼はW杯で優勝もしているので注目度も全然違うし、僕は伏兵的な存在になっていますが、このオリンピックでちょっと変えたいなと思っています」と雪辱を誓っていたが、予告通りに見事、メダルを獲得した。

 安定した滑りを支える左右の太もも周りはなんと61センチ。バーベルスクワットでは185キロを引き上げる。また、カナダ留学中には数千万円もの費用を準備してくれた両親にも感謝し「五輪でメダルをかける姿を見せたい」と努力を重ねてきた。

 大会前には「イケメン選手」としても話題になったフリースタイルスキーのホープは「この日のためだけに練習したので、それが報われたのかな」と笑顔だった。