「貴の乱」を援護した大鵬

2013年01月25日 10時00分

大鵬追悼 綱の道外伝(上)

 史上最多の優勝32回を誇る第48代横綱・大鵬の納谷幸喜氏(享年72)が、19日に心室頻拍のため都内の病院で亡くなり、昭和の偉人がまた一人、この世を去った。柏戸とともに「柏鵬時代」を築いた納谷氏は2010年3月、自ら激動の半生を振り返る「綱の道」を本紙で連載。当時のインタビューでは記事化されなかった数々の秘話や本音を告白していた。それらを3回にわたって“追悼公開”する。


 2010年2月1日、角界が大きな衝撃に包まれた。日本相撲協会の理事選に、貴乃花親方が二所ノ関一門の反対を押し切って強行出馬。大方の予想を裏切り、初当選を果たしたのだ。その夜、貴乃花親方は自らのグループの親方を率いて納谷氏宅を訪れ、当選を報告した。この「貴の乱」で大きな役割を果たしたのが、他ならぬ納谷氏だった。

 納谷氏は生前、本紙インタビューでこう打ち明けている。「二所ノ関一門が(貴乃花親方を)破門にすると言ってきた。私に言わせれば『何を言ってるんだ』と。自分のことだけを考えてやるのはダメなんだ。協会の将来とか全体を、いろんなことを考えていかないといけない」。納谷氏によると、実は貴乃花親方はこの4年前、すでに06年ごろから理事就任に意欲を見せていたという。

「私は貴乃花に4年前から『待て』『待て』と言って(出馬を)待たせていたんだ。ただ、今回は『もうそろそろ、いいだろう』と。これ以上待たせていたら、遅れてしまうからな」。ここで納谷氏の言う「遅れてしまう」とは、将来の理事長就任のことだ。理事当選を果たしても、すぐに要職に就けるわけではない。まずは一理事として下積みが必要となる。