【東スポ2020 現場最前線(5)】2020年7月24日の東京五輪開会式まで3年を切ったが、パラリンピックも要注目だ。8月25日の開会式を皮切りに22競技が行われるが、五輪と比べると世間への浸透度はまだまだ低く、関係者は機運を高めようと努力を続けている。当然、大会の位置づけも大きな意味を持ってくるだろう。そこで今回はパラリンピックの成り立ちから現状、面白さまで大特集。本紙イチ押しのパラ競技も併せて、お届けする――。

 パラリンピックの前身はストーク・マンデビル大会だった。戦争で負傷した軍人を収容していた英国のストーク・マンデビル病院の名前が由来で、すでに1948年に始まった。本格的な国際大会として60年に第1回大会がローマで開かれ、64年の東京大会から「パラリンピック」の名称が使われるようになった。「パラリンピック」とは「パラレル(もうひとつの)+オリンピック」という意味で、今回が16回目の大会になる。

 東京五輪・パラリンピック組織委員会の中南久志統括室長(50)が明かす。

「64年大会は約300人のパラ選手が参加したんですが、日本の関係者は海外選手との違いに衝撃を受けました。日本の選手は大会が終わると、リハビリセンターや病院に帰っていく。どこか閉じこもっているイメージなんです。ところが、海外の選手は職業を持っていて、ちゃんと社会参画している。これには驚いたそうです」

 当時は少なからず偏見もあったのだろう。だが、これを契機にスポーツを通した障害者の社会参画が大きく意識されることになり、翌年から国体の後、必ず障害者スポーツ大会が開かれるようになった。まさにレガシー(遺産)になった。

「2020年大会では関係者だけではなく、社会全体が驚く大会にしたいですね。障害者の生き生きとしたプレーは健常者をもしのぐ。そんなことが、共生社会、多様性社会につながると思うのです」(同室長)

 実際、トップアスリートのパフォーマンスは驚異的だ。パワーリフティング107キロ超級(運動機能障害)でロンドン、リオデジャネイロ五輪を制したシアマンド・ラーマン(29=イラン)は、胸囲205センチ、腕回り77センチと超ド級。

 世界記録310キロは、横綱・白鵬(32=宮城野)2人分を持ち上げる計算だ。このような選手が活躍すると大会も盛り上がっていく。

「そのためには、まずはルールを知ってもらうことが必要ですね。2020年大会が決まって、ここ2~3年で認知度はだいぶ変わってきましたが、まだ足りないのが現状。日本障がい者スポーツ協会、組織委員会、自治体、事業者がイベントを通してPRに取り組んでいるところです」(同室長)

 関係団体だけではない。先月NHKで放送された「世界パラ陸上ロンドン」では、障害の種別をわかりやすくテロップで解説。また、5月の車椅子バスケットボールの日本選手権では、選手の背中に障害のクラスを表示するなど、見ている人が盛り上がるような工夫がなされるようになっているのだ。

 組織委員会では、8月1日付でパラリンピック統括部が統括室に昇格。大会成功への布石を整えている。まだ問題は山積しているが、中南室長は悲観していない。

「2020年大会は、閉会式で終わりではありません。これから日本は高齢化社会になっていきます。当然、車いすに乗る高齢者は増えるでしょう。ということは、パラリンピックの知見を将来に役立たせることが可能なのです。選手の輸送用バスも、車いすの選手用に作ったものを再利用もできます。決してムダではない。心配しているのは、経費がかかりすぎることばかりが注目されることですね」

 大会のレガシーを次の世代にどう残していくか。そこが問われている。

★本紙イチ押し競技は「ボッチャ」=「パラ競技の中でも、素人でも楽しめる「ボッチャ」は本紙イチ押しだ。ルールは簡単。「ジャックボール」と呼ばれる白の目標球に、赤と青に分かれた個人(チーム)がそれぞれ6球のボールを投げ、的に近づけたボールの数の多い方が勝ちとなる。

「16年リオ五輪で日本が銀メダルを獲得してから人気に火が付きました。一時はボールの製造が追いつかなかったほどです」とは日本障がい者スポーツ協会関係者。

 全国の特別支援学校から生徒が参加する「ボッチャ甲子園」も大盛り上がり。トヨタ自動車東京本社の食堂やカフェテリアでは何とボッチャができるのだ。

「終業時間後に社員にボッチャを楽しんでもらうためです。部対抗の大会や体験会も行っています。パラ競技の普及・応援の一環ですね」(広報部)

 全国には「ダーツバー」ならぬ「ボッチャバー」もあるとか。ボッチャは石ころでもできる。ぜひ、お試しあれ。