【アスリート 美ューティー TALK(4)】手を一切使わず、足や頭で器用に、かつダイナミックにボールを操り、ネット越しに相手と対戦する競技が「セパタクロー」だ。東南アジアを中心に世界各国で人気があり、国際大会も数多く開催されている。強さと美しさを兼ね備えた女子選手に迫る連載「アスリート 美ューティー TALK」は今回、セパタクローで活躍する中塚直子(25=白寿生科学研究所)に注目。“笑顔のセパタクラー”の素顔とは――。

 ――セパタクローの楽しさはどんな点か

 中塚:全部です。私はトスを上げるトサーですが、一本でも自分が納得したボールが上げられると楽しいですし、そこに特化した練習をしたかいがあるな、と思います。

 ――日体大1年の夏までバレーボールでリベロをやっていたが、セパタクローに転向した

 中塚:自分がやりたいバレーができなかったりで、バレー部は辞めました。「体育大に入ったのだし、いろんなスポーツやってみたら?」と親にも勧められ、ひと足遅れて仮入部をたくさんしました。ラクロス、アルティメット、野外活動研究部…。でも、セパタクローをやっている高校の先輩に誘われ行ってみたら即決です。楽しくて。みんなもすごく楽しそうにやっていました。

 ――代表選手に選ばれ世界選手権に2度出場した。その後、競技を一度辞めたが、戻った

 中塚:本当に迷ったのですが、就職して周りと同じように社会人生活をしようと2013年、大学4年の引退試合で辞めました。その後も同期や青木沙和選手(アジア大会4大会連続銅メダリスト)には良くしてもらって、青木選手たちが出場した14年の仁川アジア大会後に一緒に食事に行ったんです。青木選手が「アジア大会、世界はこうだったよ~」といろいろと話してくれました。私もみんなを見て「もう一度、上を目指したい」という思いもあって。その時、青木選手が今の会社(白寿生科学研究所)でアスリート支援活動をしている方と知り合いで「こういう話があるが、会社に入ってやってみない?」と紹介してくださった。15年の4月から今の会社に入り、仕事をしながら競技を続けられる環境をいただきました。

 ――どんな性格か

 中塚:よく天真らんまんって言われます。

 ――そういえば、競技中も笑顔な気がしますが

 中塚:なぜかそう言われるんですよね(笑い)。

 ――自身のプレーの長所は

 中塚:リベロのときも持ち味と言われていた反応の良さ、動きの速さですね。ただ、まだすばしっこいからいいプレーができるとはいかないんです。トスの技術が下手だと良さも潰れてしまう。課題です。

 ――今の目標は

 中塚:7月の全日本セパタクローオープン選手権(15、16日=東京・墨田区総合体育館)の優勝です。先の目標は18年のアジア大会(インドネシア)に出ることと毎年行われる世界選手権。去年4年ぶりに出場しましたが、全く自分のプレーが出せなかった。技術不足だし、気持ちの持ち方もうまくできなかった。持ち帰った悔しい気持ちを忘れず、今年もメンバーに選ばれ自分が思うようなプレーと結果を残したいです。

 ――憧れのアスリートは

 中塚:バレーボールの竹下佳江さん(現ヴィクトリーナ姫路監督)。小学生の時に行ったバレー体験教室に、サプライズで来ていた時は思わず号泣しました。活字が苦手で本を読まないのですが、竹下さんの本だけは読みました。

 ――どこに憧れ

 中塚::セッターは自己主張しないといけないポジションですが、竹下さんは身長も低いしあまり目立たない。それは結局、無言でも周りに気持ちを伝えられる、一体感を与えられる方だからなんだなと思うんです。

 ――竹下さんのように無言でも気持ちを伝えられる選手になりたい

 中塚:そうですね。そういう存在になりたい。

 ――残念ながらセパタクローは五輪競技に入っていない。複雑な気持ちは

 中塚:私はセパタクローがマイナーだとか思ったことがないです。五輪は素晴らしい舞台ですが、セパタクローというスポーツが大好きでやっていますからね。

<セパタクロー>東南アジアの伝統スポーツ。足やもも、頭を使い、12の穴と20の交点を持つよう編み重ねたプラスチック製のボールを、バレーボールのように相手コートに返し得点を競う。手、腕は一切使えない。バドミントンと同サイズのコートを使用し、レグと呼ばれる種目は1チームが3人の21点3セット制。それぞれトサー、サーバー、アタッカーの役割がある。2人制のダブルもある。1人が続けて3回までボールタッチが可能。アタッカーがオーバーヘッドのようなアクロバティックなプレーで相手コートに攻撃するなど、ダイナミックなプレーが見られる。

☆なかつか・なおこ=1991年8月8日生まれ。福島県出身。バレーボールでは神奈川・藤沢西高で県大会ベスト5、関東大会出場。日体大に進学し、セパタクローに出会う。11、12、16年世界選手権出場。国立セパタクロークラブでプレー。155センチ。