“北島ジャパン誕生”かそれとも――。競泳のアテネ、北京2大会連続2冠の北島康介(33=日本コカ・コーラ)がついに現役引退を表明した。日本選手権(8日、東京辰巳国際水泳場)男子200メートル平泳ぎ決勝で5位に終わり、リオデジャネイロ五輪代表の座を逃した。5大会連続の五輪出場という偉業はならず、レース後は「真剣勝負は終わりです」と幕引きを決断した。完全燃焼した天才スイマーの今後の“第2の人生”はどうなるのか。



 試合を終えた北島は出口付近で愛娘を抱えながら恩師の平井伯昌ヘッドコーチ(52)と名残を惜しむようにツーショット写真を撮影。インタビューでは涙したものの満面の笑みを浮かべ「先生いろいろと、また」と意味深に目線を送り、家族とともに会場を後にした。


 悔いが残るとすれば、100メートル平泳ぎの決勝だ。準決勝で日本水泳連盟が定める派遣標準記録を突破しながらタイムを落とし切符を逃した。それでも北島は「五輪で終わるか、日本選手権で終わるか、ある程度の覚悟を持って去年から取り組んでいた」と強調。後輩に「世界は甘くないよ」との言葉を残し、競技人生の“終活”を終えた。


 そんな北島の気になる今後で真っ先に浮かぶのは指導者への転身だ。アテネ、北京五輪連続2冠という実績を誇るレジェンドだけに、選手への影響力は大。平井コーチも「アイツの泳ぎをまねすればみんな速くなる」と認め「彼の力も外部から借りながら、いいチームにしていきたい」と代表への協力を希望した。


 ただ、日本水泳連盟幹部は指導者に否定的。北島を将来の会長候補と明かし「北島は指導者をやりたくない。(スポーツ庁の)鈴木(大地)長官と同じタイプ」。ソウル五輪金メダリストで同連盟の前会長だが、日本代表のコーチ経験はない。その理由は単に適性の問題で、実際に引退後は順天堂大学で水泳部監督を務めながら研究者として活動し、博士号を取得するなど大成功を収めている。


 一方の北島は2006年に母校の日体大大学院を中退。当時、水面下で教授への道を確約されながら断ったとされる。優秀な指導者を目指し、メダリストが歩む“エリートコース”を早々に断念した。これまでも水泳教室を開くなど普及に力を入れるが、代表コーチとなれば、遠征や合宿に付きっきりとなり、複数の事業を掛け持ちする北島には大きな負担となる。


 つまり北島が指導者になれば水泳界にとっても損失になるという。同幹部は「彼にはもっと大きな世界で活躍してほしい。水泳以外の部分で頑張ってどんどん稼いでもらって水泳に還元してほしいですね。(水連会長職は)コーチを経験しなくてもいい。彼には別の道がある」。


 期待されるのは抜群の知名度を生かし、北島にしかできないビッグな仕事。水泳界出身の起業家、実業家、経営者として“金メダリスト”になることだ。そこで得た知識や経験を、水泳はもちろん、広くスポーツ界にも役立ててほしいわけだ。


 09年にマネジメント会社を設立し、昨年3月に米国企業の日本法人の代表取締役兼GMに就任。また昨年から1月の東京都選手権は「北島康介杯」と命名されて、集客アップに貢献している。選手の肩書が外れた北島は水泳にかかわりながらも、新たな世界でもトップを目指す。