五十嵐カノアは日本サーフィン界を変えた男 背中で示した「世界で勝つ」意識

2021年07月28日 06時15分

海面はるか上を飛ぶ五十嵐。世界で戦う勇気を日本に示した
海面はるか上を飛ぶ五十嵐。世界で戦う勇気を日本に示した

 金メダル級の功績だ。東京五輪から新種目として採用されたサーフィン(27日、千葉・釣ヶ崎海岸サーフィンビーチ)で、男子の五十嵐カノア(23=木下グループ)が銀メダルを獲得した。決勝でプロ最高峰チャンピオンシップツアー(CT)2位のイタロ・フェヘイラ(ブラジル)に敗れたが、ここまで日本サーフィン界を引っ張ってきた貢献度は計り知れない。日本サーフィン連盟強化担当の宗像富次郎副理事長が明かす、五十嵐が起こした〝化学反応〟とは――。

 競技は台風8号の接近に伴い、決勝が1日前倒しされて開催。強風で波が荒れるタフコンディションの中、五十嵐は準決勝でCT年間首位に立ち、〝世界最強〟と称されるガブリエル・メジナ(ブラジル)を最後の大技で逆転して決勝に進出した。

 金メダルを懸けて臨んだ決勝では、フェヘイラが序盤から大技を連発。リードを許す厳しい展開に加えて、イメージ通りの波が来ない時間帯も続いた。終盤には準決勝の再現を狙って高得点をたたき出せる大技を狙ったが、着水できなかった。サーフィンの対戦は点数の高い2本を採用し、6・60点の五十嵐に対し、フェレイラは15・14と大差がついてしまった。

 かねて目標に掲げてきた金メダルに届かず「ファイナルまで来たので金メダルを取りたかった。(イメージ通りの波がこないなど)チャンスがなかったことがすごく悔しい。このスポーツはそういうことがあるので。準備はできていても点数が出ないので…」と時折、声を詰まらせ、目には涙。言葉の節々に悔しさがにじんだ。

 日本人の両親を持つ五十嵐は、米国育ち。3歳から競技をスタートさせ、6歳の時にはスポンサーがついた。2017年までは米国選手として活動していたが、18年に国際サーフィン連盟(ISA)により国籍登録変更が承認され、日本代表としての活動が可能となった。宗像氏は日本に起こした〝化学変化〟をこう説明する。

「カノアが日本選手として世界選手権に出場してくれるようになったとき『自分たちは世界で戦う技術を持っている。メンタル面で負けるな』ということを国内トップ選手に示してくれた。口では絶対に言わないが、彼の存在は日本代表にいい刺激となり、各選手に〝勝つ意識〟を植え付けてくれた」

 実際、五十嵐は19年5月に日本人選手としてCTを初制覇。これまで手が届かなかったブラジルや米国を中心とする海外のトップ選手と互角に戦えることを証明しただけに、説得力があったのは言うまでもない。

 五十嵐が世界的選手に成長するにあたっては、日本代表のウェード・シャープ・ヘッドコーチの存在も忘れてはならない。宗像氏は「(シャープ氏は)カノアを小さいころから見ているし、勝つ方法をしっかり教えてきた。『どうやったら勝てるのか』『勝負にこだわる戦略』というものを彼や選手に伝えてくれたのも大きい」と強調した。

 銀メダルは目指していたメダルではなかったが、サーフィン界への貢献は〝金メダル級〟と言っていい。確かな爪痕を残してきた23歳のイケメンサーファーは「日本の野球のようにサーフィンを人気スポーツにしたい」とぶち上げるなど、競技のさらなるメジャー化を誓った。

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