東京五輪開幕まで14日で100日となった。本来であれば日本国内は本番に向けて機運が高まるはずだが、新型コロナウイルスの感染拡大は収まる気配がなく厳しい状況が続いている。そんな中、1964年東京五輪レスリング男子グレコローマンスタイル・バンタム級金メダルの市口政光氏(81)を直撃。コロナ禍での開催に対する世間の反発や家族との論争、アスリートの立場としての思い…。大舞台で頂点に立ったOBが複雑な胸中を明かした。


 新型コロナ禍で1年延期となった東京五輪。昨年、安倍晋三前首相(66)が「完全な形で開催を」と決意を述べたが、海外からの観客受け入れを断念するなど実現はほぼ不可能となった。開催に先立ってスタートした聖火リレーも各地で〝密〟が発生して反発を招いている。1964年東京五輪の金メダリストの目にはどう映っているのか。

 市口氏(以下、市口) 聖火リレーは各地域で行われていますけど、あれはやらせているんじゃなくてやりたいという人がやっていますからね。沿道の密集を心配する人はいるでしょうし、政治的決断でやることに批判もあるだろうけど、結論から言うと俺は五輪を開催してほしいと思っている。

 ただし、競技によっては五輪予選の実施が不透明で、北朝鮮は不参加を決定。組織委による相次ぐ不祥事なども五輪に対するイメージ悪化に拍車をかけている。それでも、大学講師や教授として教壇に立ちながら84年ロス五輪では日本代表監督も務めた市口氏はアスリート目線を重視する。

 市口 五輪種目は倍以上増えた(64年が20競技163種目、今大会は33競技339種目)。それだけ自分に合ったスポーツが楽しめる時代になったということ。はっきり言って、選手は一生に一度、命を懸けるわけだからやってほしいでしょう。

 このように競技者に寄り添う市口氏だが、家族からは反対意見を浴びたという。高校教師の長男と会った際に五輪の話題になると「やるべきじゃない」と主張され、議論は次第にヒートアップ。経験者として譲れない思いもあった。

 市口 (日本がボイコットした80年の)モスクワ五輪で山下(泰裕)君が泣いて直訴したけど参加できなかった。他の選手も無念だったはずだし、当時の代表はいまだに「何で私たちだけ中止になったの」と暗い顔しますよ。それと今回は違うけど、これでない(中止)となったら歴史的にも悪いものが残ってしまうのではないかと…。

 長男は五輪開催に理解を示しつつも、あくまで人間の命は無視できないとの立場。さらに、箱根駅伝や聖火リレーの密集、夜の街への人出を引き合いに「本番になれば自粛を求めたところで守られないのでは」と指摘されたという。

 市口 俺はアスリートの味方だけど、確かに命は代えがたい。「生命」と「五輪」のどっちが大切かということですよね。やっぱり生まれてきたからには素直に生きたい。変異ウイルスが流行して感染者が増えているから怖いのは怖いよな。

 もはや〝不完全な形〟は避けられない57年ぶりの自国開催。大会を目指すアスリート、見守る側の国民の双方が納得できる答えは見つかるのか。

 市口 ワクチンが効かなかったり、爆発的に感染者が増えたとなれば…ね。(開催可否は)4月中に結論を出さないといけないですよね。ただ、言っておきたいのは五輪というのは特殊で、その辺の大会とは違うということ。自分が現役だったらやってほしいという気持ちになるでしょうし、アスリートは死にもの狂いだと思いますよ。

 メダリスト、指導者、教育者として五輪に携わってきた市口氏だからこその〝本音〟。今はただ、五輪が無事に開催されることを願っている。


 ☆いちぐち・まさみつ 1940年1月12日生まれ。大阪府出身。浪速高では3年間柔道部に所属し、関大進学後にレスリングと出会う。大学3年で出場した60年ローマ五輪は7位。サラリーマンと競技を両立して臨んだ62年世界選手権で優勝すると、64年東京五輪ではグレコローマンスタイルで日本選手初の金メダルを獲得。引退後は日本代表コーチや監督を務め、大阪学院大講師、東海大助教授、教授、名誉教授を歴任。現在は東海ジュニアレスリングクラブ代表。