青学大駅伝・原晋監督がコロナ禍で激白 私がスポーツ庁長官なら…瀬戸大也を再生させます!

2020年12月01日 06時15分

コロナ禍のスポーツ界について、思いを語った青学大・陸上競技部の原監督

 果たしてどうなるのか…。東京五輪の開幕が約8か月後に迫った。国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長(66)はかねて開催に前向きな言葉を口にする一方で、日本や欧米で新型コロナウイルスの感染が再拡大しており、暗雲が垂れ込める。そんな中、スポーツ界きっての論客で数々の改革案を訴えてきた青山学院大・陸上競技部の原晋監督(53)が本紙の取材に応じ、気になる五輪問題から、世間が就任を期待するあの〝役職〟についてもざっくばらんに語った。


 ――東京五輪の開催可否について様々な意見が出ている

 原監督(以下原)アスリートのことを考えると、やはり東京五輪は開催してほしい。でも最近の状況を見ると、どうしてもやるべきだとは思わなくなってきた。

 ――そう思う理由は
 原 国外の方を入れることによって、感染リスクが高まる。これだけ欧米に数多くの感染者が出ている。それらの方々に来ていただくのは、やっぱり日本の多くの国民にとって不安で不安でしょうがないと思うし、いろんな我慢をしていると思う。

 ――多くの大会、イベントが延期、中止となっている

 原 今回の情勢を見ると、これはコロナウイルス戦争のさなかだから、非常に厳しい状況にある。国内の様々な活動の中止や延期、教育活動も思うように再開できていない。中体連(日本中学校体育連盟)の各種スポーツ・文化イベント、高校生のインターハイや甲子園の中止。さらに大学では教育活動において大学構内立ち入り自粛により、多くの講義がいまだにリモートで行われている。

 ――まだまだ日常には程遠い生活が続く

 原 スポーツ団体以外の多くの国民の皆さんも様々な犠牲を払って生活をしている。それなのに、世界各国を招き入れてまで五輪をやるべきなんでしょうかっていう話。やっぱりまずは日本国内の多くの人々の幸せを、平常な幸せを取り戻すためにってところを最優先するべきじゃないか。

 ――日常を取り戻すために何が必要だと考えているか

 原 100%、元の状態に戻すまでとは言わないが「新型コロナウイルスと共存する活動をしていく」という思考にすべきメッセージを、政治家だけでなく各種団体のリーダーが国民に訴えかける必要がある。

 ――どんな言葉を伝えるべきか

 原 社会を動かすべき世代と我慢をしてもらう世代に対して、はっきりとお願いする愛のある言葉やリーダーとしての覚悟を持ったメッセージが必要だと思う。あまりにも責任を持たないリーダーが多すぎるし、一つの失敗を袋叩きにする世論にも問題がある。多少の失敗を容認する懐の深い文化の構築が今、日本国民に求められている。

 ――各方面で鋭い意見を発する原監督には「スポーツ庁長官」就任を願う声もある

 原監督 人事は人ごとだが、仮に求められるならやってみたい。スポーツ庁長官が行政のトップとして各種団体を束ねるような組織にしていくべきだと思う。また、やっぱりスポーツは日本の起爆剤。スポーツ文化を日本として、国として支えるべきだと思うので、スポーツ特区を作り、予算や人員的なものを支援したい。

 ――アスリートの再起を支援する場も設ける

 原 何か不祥事を起こした際に、一つのみそぎが済んだら復帰というふうな教育再生プログラムを作りたいなっていうのはある。スポーツ選手がすべていい子で、立派な人格だと思っている方がウソ。そもそも、とんがっているから世界で戦えるわけだから。例えば、競泳の瀬戸大也選手(26)の不倫問題は叩きすぎでしょ。日本の財産を失っている。なので、大学の教育機関と連携して様々な履修プログラムを用意したい。


【箱根駅伝・青学大の戦い方は?】箱根駅伝まで残り約1か月。2連覇を目指す青学大にとって、最大のライバルは東海大だ。箱根駅伝は、全10区間がいずれも20キロ超の長丁場。総合力の高さが勝敗を大きく左右する。

 原監督は「東海大の塩沢稀夕、名取燎太、西田壮志(いずれも4年)と石原翔太郎(1年)の4人にパンチ力がある」と警戒を強める。対する青学大も「吉田圭太、神林勇太(ともに4年)、佐藤一世(1年)、岸本大紀(2年)といったところにパンチ力がある」と語るが、ともに選手層は厚いことから「激しいデッドヒートが繰り広げられるだろうね」と予想する。

 他にも前回大会の往路メンバーが全員残る明治大や全日本大学駅伝の覇者で絶対的エース田沢廉(2年)を擁する駒沢大も虎視眈々と頂点を狙っており、今回の箱根路も熱戦が展開されそうだ。


 ☆はら・すすむ 1967年3月8日生まれ。広島・三原市出身。世羅高で主将として全国高校駅伝準優勝に貢献。中京大3年時には、日本インカレ5000メートルで3位入賞を果たした。中国電力では5年間選手として活動。引退後は同社の営業部で「伝説の営業マン」として活躍した。2004年に青山学院大陸上競技部監督に就任し、12年出雲駅伝で学生3大駅伝を初制覇。15~18年には、史上6校目の箱根駅伝4連覇を達成した。19年から同大地球社会共生学部教授も務める。