頂点を極めた長野五輪から苦節16年。日の丸飛行隊がソチ五輪で銅メダルを獲得し、ついに世界のトップレベルに返り咲いた。復活の裏にはいったい何があったのか。


 まずは日本が長年苦しんだジャンプスーツは規約改定で優位になった。ジャンプはスーツの面積が大きいほど浮力を得られる。これまで体から6センチの大きさ(緩み)まで着用可能だったスーツが、昨季から2センチ以内に変更。また、スーツをずり下げるなどの違反者に対しても取り締まりが厳格化された。もともと技術の高い日本勢は競技に集中できるようになり、かつての勢いを取り戻すことができた。


 また素材作りでも負けなかった。日本はミズノ社と連携し、今季のスーツを開発。風を受ける投影面積が従来のものより大きくなり「ルールぎりぎりのところで大きく、落ちづらくなるようにしてもらった」(関係者)という。また開発競争で勝つためスーツの秘密死守を徹底した。


 さらに横川朝治コーチ(47)は日本勢が海外勢に劣る原因の一つに、長期の移動と遠征があると分析。「納豆と米とみそ汁食ってる人間が、ハムとチーズとパン食いながら1か月も2か月もですから」


 そこで、今季はW杯開幕戦からエンジン全開ではなく、ピークをしっかりと五輪に合わせた。竹内択(26=北野建設)の入院というアクシデントはあったものの、伊東大貴(28=雪印メグミルク)や清水礼留飛(れるひ=20、同)はプラン通り確実に調子を上げた。


 また練習面でも横川コーチはインラインスケートを履いたトレーニングを導入するなどその独創的な発想も光った。まさに日本の総合力でつかんだ銅メダルだった。