【ソチ五輪】「目頭が熱くなった? いやいや泣きましたよ」。スノーボード日本代表の萩原文和監督(56)はメダルが決まった瞬間をこう振り返った。スキー出身の萩原監督がスノボに携わるようになって2年目、退任を覚悟する出来事が起きた。記憶に新しい前回バンクーバー五輪の“腰パン”騒動だ。

18歳の平岡が銅メダル!3代の夢成就

「私は先にバンクーバー入りして同行してはいなかったけど、日本中があれだけの騒ぎになって、監督にふさわしくない、辞めることになるんだろうと思っていた」

 しかし、結果は予想外の続投。「私もスタッフも頑張るしかなかった」。取り組んだのは徹底した意識改革だ。「イエーイというノリではメダルは取れない」。スノボのイメージとは逆の体育会系の雰囲気をチームに持ち込んだ。

 銀メダルの平野歩夢は15歳、銅メダルの平岡卓は18歳。若い選手にどこまで伝わったかは分からないが「少なからず理解してくれたから、この結果があると思う」。スノボ日本代表としては、優れた個の寄せ集めではなく、チームとして戦った初めての五輪で、念願のメダル獲得を果たした。

 規律を求めたのはスタッフに対しても同じ。「チームの中で私が一番好きだと思うんですけど、大会などの遠征中、10代の選手と一緒のときは酒は飲まないように伝えました」。1年前のプレ五輪からのルール。「部屋に戻って一人で飲むのは構わないし、それほど厳しいことじゃない」。それでも、チームの雰囲気が引き締まったのは間違いない。