パワーリフティング・三浦浩 コンサートスタッフとして従事した長渕剛のためにも「しあわせのとんぼ」をつかむ

2020年08月28日 11時00分

2月の全日本パラ・パワーリフティング国際招待選手権49キロ級でも活躍を見せた三浦浩

【Restart パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(13)】来年8月24日に開幕する東京パラリンピックまで1年を切った。3大会連続出場を目指すパワーリフティング49キロ級の三浦浩(55=東京ビックサイト)の辞書に不可能という言葉はない。シンガー・ソングライターの長渕剛氏(63)の元コンサートスタッフという異色の経歴を持ち“定年まで現役選手”を目標に掲げる情熱家の生きざまをお届けしよう。

「ケガをしたことよりも次の現場のことを考えていた」。コンサートスタッフとして活動していた2002年4月、ステージ上での事故で脊髄を損傷。「足がなくなったと思った。なんか感覚がなくなってしまった」と振り返るが、仕事が片時も頭から離れることはなかった。

 それは、長渕の存在が三浦の人生を大きく変えたからだ。「長渕さんと一緒に働きたい」という強い思いを胸に、高校卒業後に就職した民間企業を退職し、音楽の世界に飛び込んだ。約7年間の修業の末、一緒に働くようになってからは、長渕の右腕として活躍した。

 だからこそ、三浦のケガを長渕も心配していた。「どうしているんだ? 早く戻ってこいよ」と電話をもらっただけでなく、転院先も紹介してくれた。サポートを受けた三浦も「入院しながら仕事への復帰を目指した」とリハビリに励み、半年後には車いす姿で現場に復帰した。

 その後も音楽の世界で活躍を続けていたものの、04年の夏に転機が訪れた。偶然、パワーリフティングを紹介する記事が目に入ったのだ。三浦は「これだな」と直感で挑戦を決意。長渕の後押しもあり、パラリンピックを目指すことになった。

 11年4月からはアスリート雇用で民間企業に移り、競技に打ち込んだ。その努力が実り、2大会連続(12年ロンドン、16年リオデジャネイロ)で大舞台に立った。リオ大会では日本勢最高位となる5位入賞を果たした。しかし、満足はしておらず「若いヤツに、三浦さんには負けたくないって言われたいので」と心の炎は消えていない。

 悲願のメダル獲得へ。「しあわせのとんぼ」を手にするために、大ベテランは今日もバーベルを上げ続ける。