瀬戸大也「あと1年」どう泳ぐか アテネ五輪競泳金メダリスト・柴田亜衣氏が占う五輪延期の影響

2020年07月27日 15時00分

柴田亜衣氏(左)と瀬戸大也

【どうなる?東京五輪パラリンピック(88)】絶対エースには吉と出るのか、凶と出るのか。来夏に延期となった東京五輪は開幕まであと1年を切ったが、新型コロナウイルス禍で選手が置かれた環境は決して満足いくものではない。そこで本紙は2004年アテネ五輪女子800メートル自由形金メダルの柴田亜衣氏(38)をオンラインで直撃。男子個人メドレー2種目の代表、瀬戸大也(26=ANA)は好調を維持することが可能なのか。同氏はアスリートの“地域格差”についても指摘した。 

 五輪の1年延期が正式に発表されて4か月が経過。これまで会場確保やスポンサー契約、追加費用と課題が次々と浮き彫りになったが、それらの元凶は新型コロナウイルスの影響だ。一時は緊急事態宣言でスポーツどころではなくなり、競技関係者は厳しい状況に陥った。

 柴田氏(以下柴田)率直な感想…。いろいろ悩んでいたんですけど、どう答えていいのか正直分からなくなっていて。まだチャンスがあるのはいいことだけど、無理にでも開催してくれと言えるかといえばそうじゃない部分もある。引退している私がこう思っているので、選手はもっと複雑な気持ちなんじゃないでしょうか。

 競泳で五輪出場の切符を手にしているのは、“絶対エース”の瀬戸ただ一人。他の選手は来春に開かれる可能性が高い代表選考会で五輪切符を目指すことになる。アテネ五輪で女子自由形としては日本初となる金メダルを獲得し、2008年北京五輪にも出場した柴田氏はそれぞれの立場をどう見ているのか。

 柴田:私個人の意見としては瀬戸君が一番難しいんじゃないかなと。あと1年延ばすといっても、昨年から決まっていた五輪の日程に合わせてトレーニングを積んできていますからね。昨年からのタイムを見てもすごく調子が良かったので、容易ではないと思ってしまいます。他の選手は派遣標準記録をクリアできるように調整しようと思えるのではないかと考えています。

 昨年から好タイムを連発している瀬戸は5月に埼玉栄高の同級生・浦瑠一朗氏とコンビを結成。長年指導を受けてきた梅原孝之コーチ(50)との関係を解消した。

 柴田:すごいなって。私自身、(指導者を)代えようと思ったことがなかったので。「このタイミングなんだ」と驚いたんですけど、自ら選んだ道で逃げ道をなくしたというか、さらに自分自身にプレッシャーをかけて追い込むのかなと思います。

 その一方、コロナ禍で使用停止だった、選手の強化拠点となっている味の素ナショナルトレーニングセンターや国立スポーツ科学センター(ともに東京・北区)が再開。スポーツ界にとっては明るいニュースだが、現役時代は鹿児島を拠点としていた柴田氏は“地域格差”が生じていることを指摘する。

 柴田:(施設の再開は)トップ選手にとって確実にプラスになると思います。でも、私がアテネ五輪前のときは、トップ選手が利用する施設は気軽に使えませんでしたね。鹿児島からの移動や宿泊にもお金がかかりますし。やっぱり地方にいる選手のほうが、調整が難しいんじゃないのかなと。例えばですけど、各都道府県に1か所でもプールを開放してくれると、所属先の練習環境がダメでも「そこに行けば泳げる」となって、来年に向けたモチベーションになるのかなと思ったりしますね。

 新型コロナ禍で国際大会を含む海外遠征は白紙の状態。スイマーがレベルアップを図る海外高地合宿も絶望的だ。

 柴田:私は高地トレーニングに行ったら強くなると思っていたタイプでした。そこに行くと必ずレベルアップができてベストが出ると思っていたので、選手は行きたいと感じているでしょうね。

 国際オリンピック委員会(IOC)は開催を判断する重要な時期として「10月」を設定し、大会組織委員会からは「来年3月」との意見も出た。いずれにしても山積みとなっている課題を解消していかなければ、五輪の姿はイメージできない。

 柴田:自分が選手だったら「あと1年どう泳ごうか」と考えるのか「五輪には縁がなかった」と考えるのか…。そのときの環境で感じることも変わるのかなと思います。これまで普及活動の一環として講演会などで東京五輪をPRしていたんですが、気軽に「見てね!」と言えなくなってしまいましたね。

☆しばた・あい 1982年5月14日生まれ。福岡・太宰府市出身。鹿屋体育大(鹿児島)に進学後、2004年の日本選手権自由形2種目で選考基準を満たし、アテネ五輪代表に選出。同五輪は400メートル自由形で5位入賞、800メートル自由形で金メダルを獲得。女子自由形の金は日本初、競泳女子での金は92年バルセロナ五輪の岩崎恭子以来、12年ぶり4人目だった。08年北京五輪にも同じく自由形2種目で出場し、同年に現役引退を発表。本紙では14年夏に「いつも自然体」を連載し好評を博した。現在は講演会や小学生向けの水泳教室を開くなど普及活動を行っている。