「98年長野冬季」勝ち取った“堤パワー”

2013年09月06日 20時00分

 前回16年大会の開催都市を決めた09年IOC総会(コペンハーゲン)では、東京、リオデジャネイロ(ブラジル)、マドリード、シカゴ(米国)の4都市による争いをリオが制した。

 94票が投じられた1回目はトップと4位の差が10票という大接戦の末、当初は本命視されたシカゴが18票で落選。東京は22票で3位だった。サマランチ前会長のマドリード支持を求める訴えに、同氏に選ばれた委員の多くが恩義を感じて同情票を入れたと言われ、最下位候補だった同市が28票で1位になった。

 シカゴ票の行方が注目された2回目、東京はまさかの“負の上積み”で20票しか獲得できずに敗れ去った。ここで46票に伸ばしたリオが、最後はマドリードとの決選投票を66―32で制し、南米初の五輪開催を決めた。

 夏季五輪招致で日本勢は、名古屋(1988年大会)、大阪(08年)、東京(16年)と3連敗。大阪は6票の惨敗だった。冬季では、堤義明・前JOC会長(当時)のカネの力とサマランチ氏とのパイプを生かして長野が91年IOC総会(英国バーミンガム)で98年大会の開催を勝ち取った。

 それ以前には、72年に冬季大会を開催した札幌が計3回立候補し、1勝2敗。64年夏季大会の東京は、40年大会も勝ち取ったが、戦時のため開催を返上し、大会自体も中止された。戦後は60年大会にも立候補して落選している。

 日本の五輪招致は夏冬合わせて4勝6敗。