“幻の金メダリスト”が、新型コロナウイルスの感染拡大で開催が危ぶまれる東京五輪に緊急提言だ。世論調査では約7割が「開催できない」と回答しているが、国際オリンピック委員会(ⅠOC)に大会組織委員会、政府はひたすら「通常開催」を強調。この方針に異を唱えるのが1976年モントリオール五輪レスリング日本代表でプロレスラーの谷津嘉章(63)だ。80年モスクワ五輪では金メダル候補とされながら日本が出場をボイコット。悲運の代表選手団の一員として声を上げ、「1年延期」が最良の選択肢だと断言した。

 谷津は昨年6月に糖尿病の合併症により右ヒザ下を切断したが、懸命のリハビリを経て29日に聖火ランナーとして栃木・足利市内を走る。「聖火のトーチを持って美しく走らないといけないと心がけてます。美しいフォームを見せるための集大成として(義足を支える)左足強化を心がけてます」と目を輝かせた。

 その一方、肝心の東京五輪は新型コロナウイルス禍により開催が危ぶまれている。報道各社の世論調査でも「通常開催はできない」が大勢を占め、「延期」の声が高まっているが、IOCは17日の臨時理事会でも改めて通常開催の方針を明言するなど“開催1択”の姿勢を崩そうとしない。

 18日には麻生太郎財務相(79)が参院財政金融委員会で、東京五輪の開催危機に関連し「呪われたオリンピック」と発言し物議を醸した。「40年ごとに問題が起きたんだ。事実でしょうが」と述べたが、1940年の東京、札幌五輪は日中戦争の拡大で返上に追い込まれ、80年モスクワ五輪はソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に抗議し、米国や日本などの西側諸国がボイコットした。こうした状況の中で、声を上げたのが谷津だ。麻生氏の言う「呪われたオリンピック」の一つ、モスクワ五輪ではレスリングの金メダル候補とされながら政治の介入で涙をのんだ。本紙の取材に「80年はもれなく選手全員ぶった切られたんですよ。そっちのほうがまだすっきりしますよ。今回は生殺しみたいなとこありますよね。俺は唯一のボイコット世代の選手として語る権利はあると思ってる」とした上で「1年延期」を提言した。

 五輪は4年の長い準備期間の集大成となる舞台ということは百も承知だ。「アスリート目線ではもちろん予定通り開催してほしいですよ。ライバルがいて拮抗してるところは、若い連中の突き上げがすごいから。メンタル、肉体全部を調和しないといけないし」と延期が与える影響も理解している。

 だが現段階で約43%もの出場選手が決まっておらず、予選の開催すらままならない競技があるという点は看過できない。「冗談じゃねえよ、フェアにやらしてくれよって思う選手も出てくるはず。それ(フェアな選考)ができないわけでしょ? 1年間待つと年齢が無理な人も出てきますよ。だけど、それは後輩に譲って。モチベーションがずっと保てるならやればいい。でもダメだったら…モスクワのそういう(悲劇を味わった)連中もいるんだから『しょうがねえかな』って諦めてもらうしかねえかな」

 残り4か月で万人が納得できる「通常開催」は不可能。かつ直前で五輪出場が幻と消えた経験を持つ谷津からすれば、中止になるくらいならばアスリート側も1年の延期を受け入れてくれるはずとの見解を示す。

 加えて五輪は世界中から人が集まる一大イベントだ。谷津は「応援とかそういう人たちも来なくなりますよ。例えばWHO(世界保健機関)が『もうコロナが沈静化しました』と宣言したとしても、風評は残る。観客のことも無視して好条件ではない中で強行突破してやるなら、1年間待ったほうがよっぽど勇気ある英断だと思うよ。焦らず準備もできるでしょう」と力説した。
「やっぱり五輪は一度中断して、ふんどしを締め直してですね。皆さん世界中から来てもらって、一抹の不安もない状態でやるのがいいんじゃないかと思いますよ」

 政治介入によってスポーツの祭典が汚された時代、多くのアスリートが無念の思いを味わった。「モスクワの時と比べればまだまだいいですよ。今はまだ“地獄で仏”じゃない? あの時は地獄だったんだから」。悲劇を“実体験”した男の言葉だけに説得力はある。

【幻のモスクワ五輪代表また悲劇か】幻のモスクワ五輪代表には、柔道男子代表だった日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長、マラソンの瀬古利彦氏(日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダー)、レスリングで2連覇がかかっていた高田裕司氏(日本レスリング協会副会長兼専務理事)ら有力選手が多かった。JOCは当時の代表の東京五輪結団式への招待や、公式服装の贈呈を検討。スポットライトが当たるような演出が考えられているさなか、まさかの開催危機が持ち上がった。