【オーストリア・ビショフスホーフェン6日(日本時間7日)発】ノルディックスキーのW杯ジャンプ男子は伝統のジャンプ週間最終戦を兼ねた個人第11戦(ヒルサイズ=HS142メートル)が行われ、小林陵侑(22=土屋ホーム)が合計282・1点で勝ち、史上3人目となる4戦全勝での総合優勝を果たした。67回目のジャンプ週間で日本勢が総合優勝するのは、1997―98年シーズンの船木和喜(43=フィット)に次いで2人目の快挙。異次元の強さを見せつけるニューヒーローに欧州メディアも驚くばかりだが、急成長の裏にあった秘密とは――。

 小林陵の飛躍は神懸かっていた。1回目は135メートルを飛びながらも4位止まりだったが、2回目は伸び悩むライバルたちを尻目に137・5メートルの飛躍で逆転。難しい条件の中でただ一人、2本とも135メートル以上を揃えた安定感と爆発力で、2001―02年シーズンのスベン・ハンナバルト(44=ドイツ)、昨季のカミル・ストッホ(31=ポーランド)に続く史上3人目4戦全勝の完全制覇を成し遂げた。

 金色のワシをかたどった総合優勝のトロフィーを手にしたニューヒーローは「3人しか達成していない偉業。(ジャンプ週間優勝は)日本人初ですかね。全勝は。歴史をつくることができてうれしい」と喜びを爆発させた。それでもインタビュアーから船木や葛西紀明(46=土屋ホーム)の名前を出されると「まだ五輪で金メダルも取っていないので船木さんに並んでいないし、葛西さんも何十年もやっている」と冷静に答えた。

 昨季までW杯で優勝どころか表彰台すらなかった選手が、今季だけで8勝。日本のジャンプ男子最多の連勝も5に伸ばした。あまりに飛びすぎるため、直前の大会では他の選手よりスタート位置を1~2段下げて助走スピードを落としても、HSに迫る大ジャンプを連発。ジャンプ王国のノルウェーメディアからは「別の惑星の人間だ」と称されるほどにまで成長した。

 覚醒のキッカケとなったのは昨年の平昌五輪。当時は兄の潤志郎(27=雪印メグミルク)が日本のエース格だったが大不振。その中でノーマルヒルで7位入賞を果たし、ラージヒル団体ではアンカーにも抜てきされたことで自信をつけた。

 迎えた今季、W杯で勝てる選手になるために助走の姿勢を変えた。シーズン前の練習ではノルウェーのトップ選手のフォームを参考にしたが、直接教わることはなく、ユーチューブの動画を見るだけで体得したという。関係者が口を揃えて絶賛する身体能力の高さと吸収力の速さを遺憾なく発揮し、あっという間に世界のトップジャンパーの仲間入りを果たした。

 ジャンプ週間は、欧州では五輪や世界選手権に匹敵するとされるビッグタイトル。W杯よりも歴史は古く、異なるジャンプ台で4戦合計8回の飛躍の合計得点で総合優勝が決まるとあって、心技体が揃い、さらに運も味方しないと勝てない。先行逃げ切りだったこれまでの3戦とは違い、この日は逆転V。「この優勝はでかい」という言葉は今回の快挙だけでなく、今後の世界選手権や22年北京五輪を見据える上で、大きな勝利となったはずだ。

 1998年長野五輪で団体金メダルを獲得した雪印メグミルクの原田雅彦監督(50)は「ゴルフやテニスで4大大会を全て勝つようなもの」と完全優勝の重みを説明した。世界に衝撃を与えた日本の新エースの快進撃はまだまだ止まりそうにない。