【前園連載21】ビーチサッカーW杯は貴重な経験

2014年05月12日 12時00分

前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(21)

 2004年シーズン終了後、韓国の仁川ユナイテッドを退団。すでに30歳となり「この先どうなるかな」とばかり考えはじめたころ、知人を通じセルビアのOFKベオグラードでテストを受けられることになった。6月入団を前提にしたもので、Jリーグ清水で監督を務めたゼムノビッチさんがサポートしてくれた。

 実際、練習にも参加して「十分にやれる」と確信を得た。最終関門に指定された名門レッドスターとの練習試合後、合否判定を待っていると、クラブ側から「あと1週間だけ待ってくれ」と言われた。そこで緊張の糸が切れた。十分な準備を重ね、万全の状態で臨んでいたので、これ以上のものを示せるはずもなかった。自分の中で「現役引退」の決意を固め、同5月19日に帰国した。

 これまでのサッカー人生を振り返ると「激動だったな」とは思うが、不思議と後悔するような場面はなかった。すべて自分で決断した道だし、スペイン移籍が実現しなかったのも当時の状況では仕方のない面もある。ヴェルディ川崎(現J2東京V)への移籍も含め、南米や欧州、韓国と各クラブを渡り歩くようになったのもすべて自分の力が足りなかっただけ。だから誰かを恨むつもりもないし、スッキリした気持ちで決断した。

 引退後、母校の鹿児島実業高(鹿児島)の松沢隆司監督からは「お前は時代の犠牲者だ」と言われた。たしかに日本サッカー界は今ほど成熟していなかったので、苦労はあったけど、過去にも自分と同じような境遇の選手はいただろうし、逆にJリーグができてプロになれたのもひとつのタイミングだっただろう。移籍は自分だけでコンロールできないものだし、それも含めてのサッカー人生だったんじゃないかな。

 セルビアから帰国してすぐに日本サッカー協会に連絡し、川淵三郎会長(当時)に現役引退のあいさつに出向いた際、偶然にも元日本代表MFラモス瑠偉さんがいた。私を見つけると、いつもように、怒鳴りながら「オレは認めない。お前辞めさせないよ! 冗談じゃないよ」と言ってくれた。「まあまあ」と言ってその場を去ったけど、このひと言が意外な展開を見せた。

 09年にラモスさんが率いるビーチサッカー日本代表のメンバーに招集されたのだ。しかも合宿を経て、同W杯代表にも選出された。本当に貴重な経験だったし、舞台は違うけど、悲願だったW杯にも参加できた。いまでも感謝している。

 現在は解説者やスクールで子供たちを指導しているけど、今後もずっとサッカーに関わっていきたい。現場がすべてではないと考えているのでこれからも各方面で魅力を伝え、日本サッカー界を盛り上げていければと考える。

(おわり)