【前園連載20】「J2湘南はヤバイ」だから松原を推薦した

2014年05月11日 12時00分

前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(20)

 1999年夏から欧州に滞在し、各クラブのテストを受けた。結局どのクラブとも交渉がまとまらないまま半年が過ぎた。途方に暮れていた2000年の年末、当時J2湘南の加藤久監督から「欧州でプレーしたい気持ちはわかるが、一緒にやらないか」と誘われた。正直に言えば「J2」に抵抗があり、悩んだものの、再スタートする気持ちでオファーを受けた。

 ただ実際に日本に戻って湘南の練習に参加してみると、想像以上に「ヤバイな」と感じた。J1昇格を目指すにもチーム戦力は微妙。私とコンビを組めるようなストライカー陣が手薄だった。そこで同じ時期に欧州で各クラブのテストを受けていたアトランタ五輪代表のチームメートFW松原良香をクラブに推薦すると補強には乗り気ながら「とにかく金がない」という。

 戦力面ではチームの先行きが見えない中、松原が獲得できなければ結果は明白。そこで意を決してフロントに「自分の年俸を削って構わない。だから松原を獲得してくれ」と言ったんだ。松原本人にも現在まで言ったことがないけど、大幅な年俸ダウン。それでも松原が来てくれて、なんとかJ2でも戦える陣容になった。

 チームとしての形はできたけど、J2を勝ち抜くうような状態にはなかなかならなかった。私は体調も良く11得点を挙げたものの順位は8位。加藤久監督もシーズン途中で解任されてしまった。中途半端な状態で、思案していると、01年シーズンに向け東京にホームタウンを移したヴェルディから「戻って来い」と言われた。

 監督には松木安太郎さんが就任し、私もキャンプからレギュラー組で起用されたし、開幕前日の練習もスタメン組だったが、試合ではなぜかサブ。突然のメンバー交代にチームも混乱し、しばらくの間、結果は出なかった。責任を取らされる形で松木監督が解任されると、再び試合に出られるようになったが、9月の試合中に骨折し、長期リハビリに入った。

 02年は小見幸隆監督の元で始動したが、成績不振ですぐに休養。ロリ・サンドリ監督が就任。日韓W杯が閉幕後の7月になって、私を含めた選手3人に突然、戦力外通告が出された。しかも契約期間を残したシーズン真っ最中のこと。クラブ側の説明は「監督の意向」の一点張り。なにが起きたのか全くわからなかった。

 恐らく私の態度が気に入らないとか、見せしめだったとは思う。移籍先が決まるまで練習することは認められたけど、トップチームとかぶらない時間帯しかクラブへの出入りも禁止。全く不本意だった。そこで知人を通じて韓国Kリーグのテストを受けることになり、03年には安養LGに移籍し、04年からは新設された仁川ユナイテッドでプレー。ただ思うような結果を出せないまま、シーズン後に退団した。