【前園連載19】新監督のひと言でサロニカ入りが消滅

2014年05月10日 12時00分

前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(19)

 1997年に移籍したヴェルディ川崎で結果を出せない中、98年9月にブラジルのサンパウロFCへレンタル移籍が持ち上がった。かつてV川崎を指揮したネルシーニョ監督が指導する縁で移籍話は進んだが、突然ネルシーニョ監督が成績不振で解任されて白紙。するとエメルソン・レオン監督のサントスが「獲得したい」と言って来た。渡りに船。違う環境で自分を取り戻すため海を渡った。

 名門サントスではデビュー戦で得点し、好発進したが、先発に定着できないまま。99年にはブラジルのゴイアスに移籍すると、自分の中で次第に「何かが違う」と感じることが多くなった。96年以降、スペインでプレーする日を夢見て移籍を繰り返したが、実際はかなり遠回り。そんな思いが強くなり、夏前にはゴイアス退団。欧州で新天地を探す決意を固めた。

 すぐに代理人を通じクラブ探しを始めると、ポルトガルのギマラエスが獲得に乗り気との情報が入った。チーム練習にも合流。まずまずの存在感は示せたし、十分にやれる自信もあった。ただ契約の話になると、ギマラエス側は急に難色を示し「移籍金を出せない」と言いだした。

 実は、ブラジルで過ごした2季はレンタル移籍。自分が「欧州でチャレンジしたい」と伝えると、V川崎側からは完全移籍で「移籍金1億円」の条件が出されていた。実際に、私がブラジルでプレーしていたのも欧州移籍を実現するための布石。クラブ側は、その実績を武器に、他クラブへ完全移籍させ、移籍金を手にする意向だった。

 これまで話してきたように、97年に横浜Fから移籍する際、V川崎は移籍金3億5000万円を支払った。正直、移籍金に見合う活躍はできなかったし、V川崎側が初期投資を少しでも回収しようと考えるのは当然のこと。自分も状況を理解し「移籍金1億円」を条件にクラブを探し、興味を示してくれたのがギマラエスだった。

 当初から移籍金が必要なことをわかっていながら資金を出す気はなく、代理人を通じて、減額を要求してきた。ただV川崎との約束をほごにすることはできない。すぐに交渉を打ち切り、別チームを探すことにした。幸いにもギリシャのPOKAサラニカが獲得に興味を示してくれた。

 早速練習にも参加。移籍金の話も理解を示してもらい、監督やGMとも会って入団への手続きを進めることを確認した。「ようやくプレーができる」と安堵したのもつかの間、成績不振だったサロニカは監督交代に踏み切った。すると新監督は「なんで日本人がいるんだ!オレは知らない」。サロニカ入りは消滅した。

 この半年間は、所属なし。収入もない中、滞在費や代理人費用など、出費も多かった。99年末を迎え途方に暮れる中、1本の電話が届いた。