【前園連載18】96年は激動のシーズン…期限ギリギリで移籍合意

2014年05月09日 12時00分

前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(18)

 1996年末、夢にまで見ていたスペイン移籍が破談となった。セビリアと横浜フリューゲルスの間で当時、国内最高額となる移籍金3億5000万円をめぐり、合意できなかったためだ。知らせを聞いた時はショックだったね。フロント陣に対する失望は大きかったし「このまま横浜Fにいたら海外移籍はできない」と考えるようになった。

 そんななか、年を越し、97年1月になって獲得に名乗りを上げてくれたのがヴェルディ川崎だった。カズこと三浦知良さんやラモス瑠偉さん、武田修宏さんらJリーグを支えるスター軍団で、自分自身のレベルアップになると確信していた。しかもV川崎では、カズさんをイタリア・ジェノアに移籍させた実績から「海外からオファーがあれば移籍を認める」と言ってくれた。

 すでに退団を決意していたため、魅力あるオファーだったけど、本当に移籍できるのかは別問題。スペイン移籍が破談となったように、横浜Fは移籍金にこだわっていたからだ。金額は3億5000万円。こればかりは私がどうすることもできない。交渉の行方を見守るしかなかった。

 ただ、この移籍話が意外な問題に発展する。ちょうど日本代表にも選出されて、2月から海外遠征を控えていた。すると日本サッカー協会がV川崎への移籍が成立しないと「日本代表から外す」と通達してきた。横浜Fとの契約は97年1月末まで。交渉がまとまらなければ、所属クラブがなくなり、協会への選手登録が消えてしまうためだったが、予想外の事態に戸惑うだけだった。

 シーズンオフの1月は自主トレに励みながら吉報を待ったけど、なかなか進展はない。刻々と移籍期限が迫るなか「浪人」も覚悟していたね。自分自身にも「なるようにしかならない」と言い聞かせ、平静を装った。そんななか、期限となる1月31日のギリギリで移籍が合意。96年は激動のシーズンだったけど、ようやく落ち着いて再スタートを切ることになった。

 ただ期待を胸に挑んだ新天地では、なぜか自分らしいパフォーマンスが発揮できなかった。もちろんいいプレーを出せる日もあるが、それが続かない。練習法や調整法を変えたり、必死に自分のプレーを取り戻そうとしたんだけど…。いまでも原因はわからないが、何もかもうまくいかなくなり、日本代表にも呼ばれなくなった。

 98年シーズンになってもなぜか調子は上がらなかった。スタメンを外れることも多くなり、高額の移籍金を支払ってくれたクラブ側に対しても「申し訳ないな」と感じ始めていたころ、ブラジルから移籍話が舞い込んだ。まったく予期していなかった話だったけど、違う環境で自分を取り戻そうと、海を渡る決心を固めた。