【前園連載13】「カラオケに行ったことない」世間知らずのヒデにびっくり

2014年05月03日 12時00分

最終決戦に向け前園(右)は中田との親交を深めた
前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(13)

 1996年3月、アトランタ五輪アジア最終予選がマレーシアで始まった。出場枠は3。同予選では8か国を2組に分け、グループリーグを戦う。グループの上位2か国が決勝トーナメント(準決勝)に進出し、決勝に進む2か国と3位決定戦の勝者が出場権を獲得するという方式だった。つまりアトランタに行くには最低でもグループリーグを突破しなければならない。

 日本と同じ組にはイラク、オマーン、UAEが入った。初戦イラク戦は出場停止のため私がスタンドで見守る中、FW城彰二のゴールで1—1と引き分けに終わったものの、2戦目オマーンには4—1と快勝、3戦目のUAEは1—0と2勝1分けでグループリーグを1位で突破した。いよいよあと1勝。準決勝の相手サウジアラビアに勝てば、28年ぶりの五輪出場を果たすことになる——。

 実はこの最終予選では初めて、ヒデこと中田英寿と宿舎で同室となった。当時19歳。プレー自体は堅実で冷静。本当に頼もしい存在だった。少し変わり者という印象で、年齢より大人びた感じだった。でも2人で話をするようになると意気投合。ヒデはとにかくきちょうめんなんだ。洋服もたたんでクローゼットにしまうし、スーツケースや身の回りの品の置き場所にもこだわった。先輩の私にも「そこいいかな?」と整理整頓を要求してくるとか、妙に潔癖な一面もあった。

 サッカーに関してもこだわりがあった。練習後の部屋では、毎日「なんで」「どうして」と質問攻めしてくるんだ。当時のヒデは、もっと攻撃に比重をかけたいと主張。自信もあったようだ。実は私も同意見だった。でも、キャプテンという立場上、監督の方針と違う意見を言って、混乱させるといけないと思い「まあまあ…」と曖昧に返答していたかな。とにかくヒデは当時から自分の意見を持つ選手だったね。

 ただピッチ外のことになると非常に頼りなかった。サッカー以外のことは何も知らないんだ。当時「まだカラオケに行ったことがない」とか、一般の19歳が聞いたら驚くほどの世間知らず。「どこに遊び行くのか」「なにをするのか」とここでも質問攻めにあった。でもこのジャンルではサッカーと違って自信満々に答えたものだ。ファッションや遊びをレクチャーし「20歳になったらお酒も飲ませてやる」と話したけど、何となく弟みたいな感じだったね。


 五輪アジア予選を戦いながらヒデと交流を深めていきながら、ついに勝てば28年ぶりの五輪出場という決戦に臨むことになる。ミーティングでは対戦国サウジの特徴を捉えた映像が流された。普段なら「行けるだろ!」なんて声が上がるんだけど、みんな無言だった。サウジのパワーとスピードに圧倒されていたのだ。

 私も「ヤバいぞ。負けるかも」と危機感でいっぱいになった。ほかの選手も同じように感じたはずだ。それでも「勝つしかない」——徐々に緊張感が高まっていった。