【前園連載11】代表デビュー戦でタックル受け全治3か月の重傷

2014年05月01日 12時00分

ついに日本代表デビューを果たし、手応えをつかんだが…
前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(11)

 1994年3月、私はパウロ・ロベルト・ファルカン監督が率いる日本代表に初選出された。エースのキング・カズことFW三浦知良さん(J2横浜FC)ら、スター選手の存在感に圧倒されたけど、鹿児島実業の後輩FW城彰二も選ばれていたので、少しだけ気は楽だったね。そして5月のキリンカップのオーストラリア戦で待望の代表デビューしたんだ。

 背番号は「7」。日の丸を背負って広島ビッグアーチのピッチに立ち、満員のスタンドから大声援を受けた。国歌斉唱で「君が代」を歌った時には、今まで味わったことのない緊張感が…。身震いするような感覚だったけど、試合前にはワクワク感の方が強くなり、思っていたよりもすんなり試合に入れたね。

 この試合は米国W杯予選(93年)で敗退した“ドーハの悲劇”後、初の日本代表戦。再スタートということで私も張り切っていたし、結果を出そうと必死にプレーした。ところが前半29分にまさかのアクシデントが起きた。後方から激しいタックルを受け、これまでに感じたことのない激痛が走った。瞬間的に「ヤバイ」と思ったね。必死で立ち上がったけど、もう走れないことは自分でも分かった。

 そのまま途中交代し、すぐに救急車で病院に運ばれた。診断結果は「右足内側靱帯損傷」で全治は約3か月…。初めて経験する大ケガ。自分の代表デビュー戦は散々だった。本当は次のフランス戦を楽しみにしていたのに…。その後は長期のリハビリを強いられた。試合に出場できなくなったのは何より悔しかった。

 それでもファルカン監督は94年10月に開催された広島アジア大会に向け、私を日本代表に選んでくれた。フィジカル面は万全ではなかったけど、自分にとっては初の国際大会。とても楽しみだった。当時の代表は結果が出せずに、周囲から批判も噴出。それでもファルカン監督は冷静だったし、選手の力を引き出そうとしてくれた。

 1次リーグを1勝2分けで突破し、準々決勝で宿敵・韓国との一戦を迎えた。ファルカン監督は試合前のミーティングで「日本の方がうまいから絶対に勝てるさ」と選手を激励してくれた。現役時代は「ローマの鷹」と呼ばれた監督の言葉にイレブンの士気も高まったけど、大会後に聞いたところ実は「五分五分」と思っていたそうだ。

 試合は予想通りに激しい戦いとなった。韓国の選手は審判が見ていないところで蹴りを入れる、背中をつねるなど、もうやりたい放題。「伝統の日韓戦」の厳しさを体感したものだ。試合は一進一退の攻防だったが、2—3で敗退。国際試合の難しさを改めて感じたし、ファルカン監督も大会後に解任されてしまった。

 プロの世界の厳しさを痛感したけど、個人的には自分のケガもあって万全ではなかったし、もう少し同じメンバーでプレーしたかった、と悔やまれる。でも本当に貴重な経験をさせてくれたと思う。