【前園連載10】“ドーハの悲劇”後に代表入り でも困ったことが…

2014年04月30日 12時00分

ついに悲願の日本代表入りが実現。武田修宏(左)らスター選手とプレーした
前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(10)

 Jリーグ元年の1993年には多くの試合に出場できるようになり、2年目の94年はレギュラーに定着。開幕してしばらくすると、チームスタッフから「日本代表に選ばれそうだ」と声を掛けられた。「まさか? 日本代表? ウソでしょ」と聞き返したほどで、ただただ驚くばかりだった。

 当時の日本代表は93年の米国W杯アジア最終予選で敗退した“ドーハの悲劇”の直後。ハンス・オフト監督は退任し、ブラジル人のパウロ・ロベルト・ファルカン監督が就任した。ブラジル代表ではジーコさんらとともに「黄金のカルテット」を形成した1人で、イタリアでプレーし「ローマの鷹」と呼ばれた名選手が指揮官だった。

 そんな「新生ファルカンジャパン」がスタートし、私も初招集となった。チームに合流した際には、大スター選手たちの存在感と報道陣の多さにビックリした。自分もJリーグではそこそこやれていたとは思うけど、まだ実績は少ない。それがいきなり代表とは…。うれしさよりも戸惑いの方が大きかった。

 キャプテンのDF柱谷哲二さん(現J2水戸監督)は怖かったし、キング・カズことエースのFW三浦知良さん(J2横浜FC)にはすごいオーラを感じた。それでも、あいさつすると「思い切ってやろう」と声をかけてもらい、少しホッとしたものだ。自分がよほどナーバスな顔をしていたのかカズさんは「あんまり緊張すんなよ。心配ないよ」とも言ってくれ、一気に不安感は消えた。カズさんの気遣いに「さすがエースは違う」感心したものだ。

 もうひとつ印象的だったのはFW城彰二との再会だ。鹿児島実業高(鹿児島)時代の2学年後輩。94年にジェフ市原(現千葉)入りした城は新人ながらJリーグ開幕から4試合連続ゴールを決め「時の人」だった。彼がプロ入りしてからは電話で何度か話したこともあったけど、代表ではライバル。絶好調の後輩には刺激を受けたし、実はかなり意識していた。

 日本代表では、やる気満々だったけど、ひとつだけ困ったことがあった。当時の日本代表にはファルカン監督の腹心にジルベルト・チンというコーチがいた。非常に神経質なコーチで、本当に口うるさかった。なかでも困ったのは食事のこと。唯一の楽しみと言っても過言ではない中、会場を徘徊し、選手一人ひとりが何を食べているのかをチェックし「肉ばかり食うな。野菜を食え」とか「プロなのに食べ過ぎるな」と文句ばかり言っていた。

 みんなもチンコーチの言動にはうんざりしていたけど、自分も細かく見張られていると思うと食事も楽しくなかった。ただ初の代表参加で、今後の選手選考にも影響するかもしれないと考え、食事の取り方やメニューにも少し気を配るようになった。