【前園連載9】留学効果を実感!外国人相手でも練習から火花

2014年04月29日 12時00分

留学をきっかけに飛躍的に成長を見せ、レギュラーを獲得した
前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(9)

 1993年1月ごろ、私はアルゼンチンのヒムナシアに留学した。スペイン語もわからない中でイレブンとコミュニケーションを取り、なんとか一緒にプレーできるようになった。当時のレギュラー選手の中には年俸わずか1万ドル(約100万円)の選手もいたし、プロなのにアルバイトしている選手も多かった。

 一方、私の初任給は45万円。かなり恵まれているなと思ったし、チームメートにもうらやましがられた。お金をもらってサッカーができる環境を改めて感謝し「このままじゃヤバイな」と強い危機感も芽生えた。約2か月の留学にも必死に取り組むようになり、自分を振り返ることができた。本当にサッカー観が変わる貴重な経験だった。

 ヒムナシアからは「ウチでプレーしないか」とオファーも頂いた。自分としても、もう少しアルゼンチンでプレーしてみたかった。練習でも自分のドリブルは通用していたし、実戦でどこまでできるか試してみたかった。なにより「ここにいればうまくなる」と考え、真剣に横浜Fに掛け合ったが、クラブ側からは「戻って来い!」。後ろ髪を引かれる思いで帰国することになった。

 ただ横浜Fに戻ると、留学の効果を実感することができた。自分でもプレーに積極性が出てきたと感じた。周囲からも「変わったな」と指摘されるようになり、すぐにトップチーム(一軍)へ昇格。評価されることで自信も芽生え始めた。まだ若く、とがっていた面もあった。当時の中心選手でブラジル人MFエドゥーとも練習中から激しくやりあった。お互い主張し合い、つかみ合いにもなることもあった。

 外国人相手にも意見する姿を見て、周囲も変わってきた。チームメートも私の持ち味を生かそうと練習からサポートをしてくれるようになり、連係も高まった。留学前はトップで試合に出場する機会はなかったが、ベンチ入りする機会も増えたし、各種遠征にも帯同するようになった。

 そして、1993年5月、ついにプロサッカーのJリーグが開幕。爆発的な人気を博し、大きな社会現象になった。開幕戦をスタンド観戦した私には正直ピンと来なかったし、当事者ながら「すごいな」としか思えなかった。そして迎えた6月のヴェルディ川崎戦。延長戦後半(当時は完全決着制)残り10分という場面で加茂周監督から「点とってこい」と送り出され、待望のプロデビューを果たした。

 この年はリーグ戦24試合に出場し2得点。94年1月1日の天皇杯決勝にはスタメン出場し、初のタイトルも獲得した。自分では少し「出来過ぎ」だったけど、アルゼンチン留学の影響は本当に大きかったと思う。レギュラーに定着するようになり、持ち味のドリブルも切れ味を増した。すると突然「日本代表入り」の話が舞い込んだ。