【前園連載8】アルゼンチン留学で分かった生き残るために必要なこと

2014年04月28日 12時00分

プロ入りも二軍暮らしが続きモチベーションも低下した
前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(8)

 1992年、私は鹿児島実業(鹿児島)を卒業し、Jリーグ横浜Fに入団した。自信満々でプロ入りしたものの、当初は先輩選手たちのスピードと激しさにまったく付いていけなかった。しかも攻撃だけではなく、守備面でもかなり細かなプレーを要求され、戸惑うばかりだった。

 プレーだけではなく、生活環境も激変した。鹿児島から神奈川・横浜にある選手寮に移り住むと「都会ってスゲーな」と感心するばかりだった。しかもトップからは声がかからずサテライト(二軍)暮らしで自信も失い、モチベーションも大きく低下。次第に夜遊びを重ねるようになっていった。

 そんな状況を変えてくれたのは、大卒で同期入団の渡辺一平さんだ。なにかと面倒を見てくれたし、頻繁に食事に誘っていただいた。「プロ選手とは?」といったテーマの話をすることも多かったが、ある時自分の現状を戒めようとしてくれたのだろう。「ゾノにはすばらしい才能がある。うらやましい。オレにお前の才能をくれ」とも言ってくれた。そのひとことでモヤモヤは吹っ切れ、再びサッカーに打ち込むようになった。いまでも一平さんには感謝している。

 そんなサテライト暮らしが続く1年目のシーズンだったが、突然クラブから欧州留学の話が舞い込んだ。クラブ関係者の話を聞きながら、反射的に「南米…アルゼンチンじゃダメですか?」と言ってしまった。あのディエゴ・マラドーナに憧れてサッカーにのめりこんだ以上、本場のサッカーを経験したかった。ダメもとで言ってみたら、クラブ側はあっさりOK。すぐに1部リーグのヒムナシア行きが決まった。

 首都ブエノスアイレスから車で約1時間。まったく言葉のわからない状況で練習に放り込まれたが、まったくパスが回ってこない。得意のドリブルを試したくて、パスを要求しても、出してもらえない。ゲーム形式の練習では、ボールに触ることもできなかった。チームメートからは「日本人がなんでいるんだ?」と露骨な敵意も感じた。

 やはり人とコミュニケーションを取れないとメンタル面も落ちてくるし、ホームシックにもなった。でも広大な土地を切り開いて造成されたヒムナシアの施設は、敷地外に出ても見渡す限り森林地帯で逃げ出すことができない環境。そこで腹をくくり、チームメートにも積極的に話しかけるようになると、すぐに打ち解けた。練習でもパスが出てくるようになり連係プレーもできるようになった。

 自分がサッカーで生き残っていくには何が必要か。どうすればいいのか。アルゼンチンで一人プレーするようになってようやくわかった気がした。この留学中、自分にも自信が芽生えたし、手応えをつかみ始めた。