【前園連載3】ついに鹿児島選抜チームの一員に

2014年04月23日 11時40分

中学にはサッカー部がなく陸上部に所属。駅伝大会にも出場した
前園真聖「流浪の天才ドリブラー」(3)

 私は小学校2年で「東郷少年サッカー団」に入り、本格的にサッカーを始めた。当時はアルゼンチン代表FWディエゴ・マラドーナに憧れ、必死にそのプレーのマネをしていた。5年生の時の県大会ではマラドーナばりのドリブルでゴールを量産。ベスト4に進んだ。すぐに結果が出たことで「ブラジルに行ってプロになる」と言いだして、家族を困らせるほど、のめりこんだ。

 ただ進学した地元の東郷中学校にはサッカー部がなかった。そこで仕方なく陸上部に入部。もちろん少しでもサッカーがうまくなるために、基礎である走りを磨くことが必要と考えたからだ。目標であるマラドーナに少しでも近づくため、短距離を選択。ダッシュ力に磨きをかけた。1年生で出場した大会では100メートルを11秒8で走り、まずまずの結果も出した。

 それでも陸上を続ける気持ちはなかった。陸上部に所属しながらも、仲間たちと「サッカー同好会」を立ち上げ、週に1度だけ集まり、サッカーをした。正式な部ではないため大会参加や対外試合もできなかったけど、熱心に取り組んでいる姿を見た先生や父兄の方が学校側に掛け合ってくれて、ついにサッカー部が設立されることになった。

 実は、このころ、私は真剣にサッカーをしながらも少しヤンチャもしていた。短ランにボンタン。先のとがったエナメルの白い靴…。当時定番の服装に、髪形もサイドだけ短く刈り込んだ。自分では「オシャレな不良ファッション」くらいのイメージだったけど、周囲からは完全な悪い子=ヤンキーと見られていたと思う。

 キッカケは大ヒットした映画「ビーバップ・ハイスクール」。主人公たちの服装に憧れて、格好つけて街も歩いていた。近隣の学校の生徒とにらみ合いになることも多かったけど、完全に悪の道に進むことはなかった。やはりサッカーをすることが楽しかったので、踏みとどまれた。実際に、他校の生徒ともめそうになっても、手を出すことはなかったし、正直に言えば、そこまでの勇気はなかったかな。ただ母や先生方には迷惑をかけたと思う。

 その一方、同好会から昇格したサッカー部は順調なスタートを切った。暗くなると父兄の方が車のヘッドライトでグラウンドを照らしてくれて夜間トレーニングで体力不足を補った。「東郷少年サッカー団」時代からプレーする仲間も多かったこともあり、3年生の時には強豪校とも互角の勝負ができるようになった。私もついに鹿児島選抜チームの一員にも抜てきされるようになった。

 県選抜の一員として臨んだ九州大会では得点王となり、かなり自信もついた。少しずつだけど、「将来はプロサッカー選手になりたい」と思い始めていた。