【長谷川豊アナ連載・最終回】許せない!両親と家族傷つけたフジの一部の人間

2013年10月14日 08時00分

長谷川はこの名刺で自分を売り込んでいる(本紙が一部加工)
長谷川はこの名刺で自分を売り込んでいる(本紙が一部加工)

長谷川豊アナ連載「すべてお話ししますがなにか?」

【元フジテレビアナ・長谷川豊「すべてお話ししますがなにか?」(連載20・最終回)】

 

 僕が一番尊敬している女性は母です。あっ、マザコンではないです。ないと思います。

 

 米ニューヨークに勤務していた2012年6月。会社の経費を不正使用したとして、急な日本への帰国を命じられた僕は、誰にも見送られず、米国を後にしました。見送りがなかったのは、フジテレビ・ニューヨークの上層部がスタッフたちに「ハセガワと連絡を絶つように!」と命令していたためでした。よほど、僕から真実を語られるのがイヤだったんでしょうね。やれやれです。

 

 でも、成田空港に到着すると、見覚えのある姿が…。

 

「お帰り」――僕の両親でした。奈良県に住む両親が8~9時間、車を飛ばして迎えに駆けつけてくれたのです。笑顔でねぎらってくれました。帰国前に、電話で「出迎えはいいよ」と断っていたのですが、母は「とにかく迎えに行く。私たちが行きたいだけだから」と。

 

 帰国直後は当然、住居が決まっていません。千葉・幕張のホテルを仮宿にして、僕と妻、3人の子供と僕の両親で、2~3日過ごしました。

 

 両親が奈良に戻る日のこと。「元気でね」と両親を見送った後、部屋に戻ると、一枚の“置き手紙”がありました。

 

「焦っては周りが見えなくなります。焦らず慌てず。何があっても、私たちはあなたたちを守る」

 

 メモ用紙にきれいな文字で、こうつづってあったのです。母からの“置き手紙”でした。

 

 心から、この両親の子供に生まれて、幸せだと感じました。そして、絶対に負けないぞ!という気持ちにもなりました。“置き手紙”は、今でも僕の自宅の机の引き出しにしまってあります。

 

 母は僕が子供のころから、必ず見送りをしてくれる人でした。ケンカをしても何があっても、僕が家を出る時は、姿が見えなくなるまで必ず手を振り続けてくれる情の深い人。その母に育てられたので、僕も子供たちにはできるだけ同じように接しているつもりです。

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