民主党の田中真紀子前衆院議員(70)が、12月の衆院選出馬を見送る。

 すでに党から公認を得ていたが、20日までに海江田万里代表(65)に「今回は立候補しないが、政界を引退したわけではない。機会があればまた政治の仕事はやる」と伝えたという。

 田中氏は父の角栄氏から地盤を継ぎ、選挙は強いはずだった。しかし、2002年に秘書給与流用疑惑が発覚し、議員辞職。これがミソのつき始めで12年12月の衆院選では比例復活もできないほど完敗した。

「13年の参議院選挙への出馬を模索していたほど、政界復帰の意欲があったのですが、どうしたのでしょうか」(永田町関係者)と驚く人もいる。選挙への準備不足との指摘もある。

「東京にいて地元にそんなに帰っていなかった。選挙はまだ当分先というムードもあったので、油断していたのでは。新潟5区では自民党の長島忠美氏が支持を広げており、今からでは間に合わないと判断したのでしょう」(別の永田町関係者)

「小渕さんがお陀仏さんになっちゃった」「外務省は伏魔殿」などの真紀子節から国民の注目を浴びたにもかかわらず、最近は表舞台に出てくることもなかった。

「今年春には死亡説まで流れていました。具体的にどこどこの病院に運ばれたとか、やたら具体的だった。結局、デマでエープリルフールのジョークとして片付けられたのですが、それほど表舞台で活動をしていなかったということ」(政府関係者)

 政界引退はしないというが今後の活動は不透明だ。現在、地元企業の越後交通会長と東京造形大学の客員教授をしている田中氏は「仕事の状況をかんがみて立候補は難しい」と党に説明したという。このまま忘れ去られてしまいそうだ。