「フクシマフィフティ」は知っていた!! 「吉田調書」入手によって報じた朝日新聞の福島原発作業員「命令違反」「撤退」のスクープ記事は、誤報として葬り去られた。そもそも、事情を知る関係者は同記事について「事故当時、現場に残っていた人は『朝日は間違っている』と話していました」と指摘。調書を読んでも当事者に聞いてもすぐ分かることなのに、天下の朝日新聞はなぜ暴走してしまったのか。

 午後7時半、朝日新聞東京本社の会見場に木村社長が現れると無数のフラッシュがたかれた。

「(スクープ記事は)吉田調書の発言を紹介して教訓を引き出し、全文公開を政府に求める内容でした。しかし、調書を読み解く過程で(吉田氏の発言の)評価を誤りました。間違った記事だと判断し『撤退』を取り消し、読者や東電社員に深くおわび申し上げます」。木村社長は頭を下げ、再びフラッシュがたかれた。

 問題の記事は5月20日付の「吉田所長の命令を無視して、所員の9割が原発から逃げ出した」という内容。その後、同じ調書を基に産経新聞や読売新聞などが「命令違反」「撤退」を否定し、朝日報道を批判していた。

 同社は、吉田氏による「線量が低いところに一旦退避して指示を待て」という命令があったことは事実としている。しかし、杉浦信之取締役編集担当は「命令はあったが、所員らが命令を知っていて意図的に撤退したという事実はなかった」と誤報を認めた。

 訂正はスクープから3か月以上もかかった。「いまさらな感じがしますね」と話すのは福島取材を続けるジャーナリスト。

「朝日の報道があった後、事故当時に原発に残っていた人物に話を聞きました。彼は『朝日の記事は間違っているよ。所員の9割が逃げてしまったら、現実問題として原発に対処できていない』とつぶやいていました」と明かす。

 事故後、第1原発に残ったいわゆる「フクシマフィフティ」の一員だ。実際は50人以上で、原発作業員だけでなく、東電社員などもいた。彼らは「朝日、許さん!」とまでは言わないが、事実と違う記事にあきれ果てていたという。

 朝日も福島取材をしていたはずで、確認しようと思えばできたはずだ。なぜしなかったのか。

 杉浦氏は「吉田所長の命令を聞いた人は現時点では確認できていない。取材はしたが、聞けなかった」と裏取りが不完全だったと認めた。

 前出のジャーナリストは「朝日は『プロメテウスの罠』という震災を扱った連載をしていますが、取り上げるのは市井の人が多い。当時、原発にいた人たちを取材する過程で、朝日の記者がいたとはあまり聞いたことがなかった」と振り返る。

 取材不足を補うために、記者が意図的に調書をねじ曲げて報道したのではないかという疑念はついてまわる。杉浦氏は「意図的ではない」と強く否定。一方で「命令があったことから、命令違反があったのだろうという素朴な思い込みになった」と話した。

 朝日批判をした週刊誌に対して、抗議書を乱発していたが、記事の取り消しによって抗議書も撤回となる。責任を取って杉浦氏は職を解かれ、記者ら関係者の処分も行われる。

 木村社長は「抜本改革の道筋がついたら進退を決断する」と自らの辞任は先送りしたが、社長報酬は返納する。しかし、反省は表面的だ。

「謝罪の次の日から抗議の電話が殺到することを想定して、多くの社員がいくつかの班に振り分けられて、電話対応に駆り出されることが決まっています」(朝日関係者)

 謝罪は遅いが、抗議に対する行動は素早い。

 吉田調書をめぐる朝日VS産経の戦いもこの日、軍配が上がった形だ。

 政府関係者は「朝日は旧民主党政権関係者から調書を手に入れ、産経は自民党政権関係者から手に入れたとささやかれています。つまり、自民党と民主党の代理戦争でもありました。朝日の謝罪で最も喜んでいるのは、安倍晋三首相かもしれません」と話す。

 朝日は「信頼回復と再生のための委員会」(仮称)を設置、第三者委員会への審理を依頼するなどを行い「ゼロからのスタート」(木村社長)を切るとしているが、相次ぐ誤報で損なわれた信頼を回復する道は険しそうだ。