「黄金バット」作った「天賞堂」とは

2013年06月27日 10時30分

 5月5日に東京ドームで行われた国民栄誉賞授与式で、長嶋茂雄巨人終身名誉監督と松井秀喜氏に記念品として黄金に輝くバットが贈られた。東京・銀座の超一等地に店を構える老舗宝飾店「天賞堂」が内閣府からの依頼を受けて、高いクオリティーのものを極秘に短期間で作り上げたものだ。その背景とは? さらに内閣府から直々に依頼を受ける天賞堂ってどんな会社? 同社の新本桂司専務に聞いた。

 今回、長嶋氏と松井氏に贈られたバットは、2キロの銀をバット型にし純金メッキを施したもの。長さは硬式野球用のバットと同寸の84センチ。中は空洞になっている。通常は1か月半かけて製作するが、今回、天賞堂に記念品製作の依頼が届いたのは4月中旬。納品まで2週間というタイミングだった。
 
 通常の「へら絞り」という作り方では時間がかかるため間に合わない。また複数の工場で製作する必要があるため、関わる人間が増えると情報が漏れるリスクが生じる。さらに今回はいつも以上に仕上がりの精度を高める必要があった。
 
 こうした3点を考慮し、採用したのが平らな板を金づちで叩きながら丸める「鍛金」という手法だった。短い時間で精度を上げる――。この難易度の高い仕事を、数人の職人が休みを返上し、他の仕事を断って集中することでやり遂げた。「それこそ朝から晩まで。間に合わせることができたのは職人としての意地、責任感もあったのだと思います」(新本桂司専務)
 
 式典後、“黄金バット”が天賞堂製だと分かると、「あのバットが欲しい」という問い合わせが何件もあったという。しかし「同じように長嶋さんの名前を入れたものが欲しいと言われる方もいらっしゃいますが、全てお断りしています。お2人の名前を入れることはできません。ただし、同型のバットにその方のお名前や店名を彫ることはできます」
 
 そこは老舗の名店、2人の名前や国民栄誉賞を利用するような品のない“便乗商売”は行わない。なお、販売する場合の価格は100万円強。現在、数件の商談を進めているという。
 
 ところで、内閣府から依頼を受けている天賞堂とはどんな会社なのか。創業は1879年(明治12年)。89年に時計販売を、90年には日本で初めてダイヤモンドやルビーなどの宝石の輸入販売を開始した。創業者の江澤金五郎氏はアイデアマンで、ショーウインドーや新聞への広告掲出を他に先駆けて始め、また定価販売、ローン販売、商品の保証制度もいち早く取り入れた。2代目は1909年(明治42年)に蓄音機とレコードの輸入販売を始め、さらにレコード製作まで行った。
 
 そして戦後の49年、桂司氏の祖父にあたる新本秀雄氏が鉄道模型の販売を開始。「本人が好きだったから、という理由が大きいようです」と桂司氏は語るが、当時銀座和光を接収していた米軍兵が、その精巧な商品を見て次々と購入。今に続く天賞堂の柱のひとつになった。
 
 さらに戦後すぐにもうひとつ、加工技術やデザイン力を生かして徽章やメダル、トロフィーなどを製作販売する商事部が生まれる。これが今回の国民栄誉賞記念品へとつながる。商事部の福田真二部長によれば「第1号の国民栄誉賞で王貞治さんに贈られた盾は、天賞堂でデザインから製作まで行ったものでした」という。国民栄誉賞とのつながりは今回に始まったことではなかった。
 
 桂司氏は「宝飾、鉄道模型、商事部、3つの柱に共通して言えるのは、商品のクオリティーに対するこだわりです。現場の人間はマニアックなまでのこだわりを持っています」と語る。顧客の信頼を得られるかどうかは商品の品質次第。天賞堂はそれを徹底的に行っている。

関連タグ: