上祐史浩氏が語る「地下鉄サリン事件」「オウム麻原彰晃」(前編)

2015年03月21日 19時00分

「ああ言えば、上祐」などといわれた上祐史浩氏

【独占インタビュー前編】世界に衝撃を与えたオウム真理教による地下鉄サリン事件から、20日で丸20年となった。1995年3月20日午前8時ごろ、東京の地下鉄3路線でサリンがまかれ、13人が犠牲になり、6200人以上が重軽症を負った。麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(60)ら信者13人の死刑が確定。サリン事件後、スポークスマンとなり「ああ言えば、上祐」などといわれた上祐史浩氏(52=「ひかりの輪代表」)が本紙の独占インタビューに応え、サリン事件、麻原死刑囚への思いを語った。

 


 ――日本の歴史に残るテロから20年がたった

 上祐氏:サリン事件に関しては改めて、深くおわび申し上げます。私が代表を務めるひかりの輪は被害者・遺族の方々の団体と賠償契約を締結し、賠償金をお支払いさせていただいており、それを今後とも着実に実行してまいりたいと思います。

 ――今、麻原彰晃についてどのように思っているか

 上祐氏:複雑ですね。時とともに移り変わっているのです。自分の反面教師として考えていることは今も変わりません。ただ、麻原を産んだご両親を考えます。自分はライフスタイルとして、子供をつくる予定はありません。でも、仮に子供ができたとき、麻原のような子供を産まない保証はないです。そのことについて考えます。彼はすべての人において、完全な他人ではないのではあるまいか。親としてそういう子を産むとか、自分がそういうふうになっちゃうとか、そういう可能性の一人が麻原でしょう。彼も日本から生まれたわけですから。

 ――麻原の死刑についてはどのように考えるか

 上祐氏:私は麻原の死刑には賛成です。ただ、心配なのはアレフ(下段別項参照)との関係です。麻原は獄中で「私は死刑にならない。不死の身体を得た」と言っています。それを信じてアレフが布教しているのです。平田(信被告=元幹部)が出頭した時にも「麻原の超能力だ」と。そういった信仰を砕くには麻原を死刑にした方がいいでしょう。ただ、もし、死刑というのができない状況になったらどうしましょう。たとえば、心神喪失にもかかわらず、死刑にすれば、アレフ信者の恨みを買うだけです。高橋(克也被告)の裁判が終わったら、麻原は死刑になるでしょう。でも、その時に法務省の方で、しっかり心神喪失でないという証明をしてほしいと思います。合法的に死刑執行してほしいのです。

 ――公判中の高橋被告について

 上祐氏:私が24歳のころ、幹部になるための修行をした際にお世話をしてもらったくらいしか接点はありません。当時の印象は車の運転がうまいなと。サリン事件の時に運転手に使われたのも運転のうまさを買われたのでしょう。それと、おとなしい受動的な人でした。影の薄い人。漫画でいうと「黒子のバスケ」というのと同じような感じでしょうか。でも、私がロシアに行っている間(92~95年地下鉄サリン事件後)に(幹部へ)引き上げられてしまったようですね。受動性を買われたのでしょうか。

 ――高橋被告の裁判には上祐氏も証人出廷した

 上祐氏:裁判の高橋被告と私が知っている彼は別人のようです。94年以降のVXガス(襲撃事件)や地下鉄サリンに関与した後に幹部になっています。そこが無期と死刑を分ける微妙な裁判かもしれません。無期と死刑の間では、どちらかといえば死刑に近い。彼も17年も逃亡しなければよかったのに。95年の時、私は麻原に「破防法の適用の可能性もあるから、無意味に逃げているのはやめるように指示を出してくれ」と頼んだのです。

 ――しかし、法廷で高橋被告が明かしたように、麻原は逮捕される前に信者たちに「逃げろ」という指示を出した

 上祐氏:信者たちはそれに従ったのです。麻原が「出頭しろ」と言わない限り、皆は出頭して来ないわけです。その後、逮捕後に弁護士を通じて、自分で出頭したいヤツは出頭させてもいいという趣旨で「自然に任せる」と麻原は言っています。でも、一度逃げるように麻原が指示を出したのに、その後に「自然に任せる」と言っても信者たちは帰ってきません。だから、高橋、菊地(直子被告)、平田たちは17年も逃亡していたわけです。逃亡していなければ、平田や菊地は刑期を終えて出所しているでしょう。高橋も死刑にならなくて済んだかなと思うと「うーん、あの時、もっと教祖に迫っていたら」という気持ちはあります。教祖の命令は絶対でしたから仕方がないのですが、私自身も、少し関わりを感じます。(続く)

【地下鉄サリン事件】1995年3月20日午前8時ごろ、警視庁や中央省庁の庁舎が集まる営団地下鉄(現東京メトロ)の霞ケ関駅を通る3路線5車両で猛毒のサリンがまかれた事件。通勤客ら13人が死亡し、6200人以上が重軽症(警察庁調べ)となった。事件の2日後、富士山麓にあったオウム真理教教団施設などへの強制捜査が始まった。教祖の麻原彰晃死刑囚の確定判決は「間近に迫った強制捜査を阻止しようと、阪神・淡路大震災に匹敵する大惨事を起こし、都心部を大混乱に陥れるために企て、実行した」と認定。一連の裁判では、事件後の入浴中に死亡した1人を除き、死者は12人としている。

☆じょうゆう・ふみひろ=1962年12月17日生まれ。福岡県出身。早大学院高校から早大理工学部、同大学院を経て87年に宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)入団。1か月後に退職しオウム真理教に出家。94年に教団のロシア支部代表となり、95年の地下鉄サリン事件後に帰国して広報担当を務めた。同年10月に偽証容疑などで逮捕され、同罪などに問われた裁判で懲役3年の実刑判決を言い渡される。99年末に出所し、オウムに復帰。2000年に団体名をアレフに改称し、02年に代表に就く。07年に脱退しひかりの輪を立ち上げ、代表に就任した。