焼失・首里城 鎮火11時間の理由 城壁が消防隊の活動を制限

2019年11月01日 16時00分

焼失した首里城

 世界遺産の一部を構成する首里城(沖縄県那覇市)の火災は、31日午前2時半ごろの出火から約11時間後の午後1時半ごろ鎮火。木造3階建ての正殿が全焼するなど、主要7棟の計約4000平方メートル以上が燃えた。琉球王国時代から脈々と受け継がれてきたアイデンティティーの象徴ともいうべき歴史遺産の喪失に、沖縄は深い悲しみに包まれた。鎮火に時間がかかったことについて専門家は、城として好立地すぎたことが裏目に出て、スムーズな消火ができなかったと指摘した。

「沖縄のシンボル」が赤々と燃え火の粉をまき散らし、崩れ落ちる様子を市民はただ見つめるしかなかった。

 規制線の外から、祈るように鎮火までを見守った白鳥律子さん(70)は「毎日お参りをして、すがって生きてきた。心のよりどころでした…。自分の体を真っ二つに斬られたくらい苦しい」と涙を止められなかった。

 1945年、第2次世界大戦の沖縄戦で焼失した首里城。92年に本土復帰20周年を記念して国営公園として復元された。2000年に「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」の一部として世界遺産に登録され、今年2月には、着工から30年にわたって行われた内部の復元がようやく完了したばかりだった。

 近隣に住む70代男性は「復元がようやく終わったばかりだったのでショックが大きいですね。これで(焼失は)5回目…。なんとか防げなかったものかと思ってしまいます」と肩を落とした。

 沖縄戦では米軍の攻撃にさらされたが、琉球王国時代(1429~1879年)にも3度焼失している首里城。同男性は「そういう過去があるだけに、何か因縁めいたものを感じてしまう。今回のような大惨事になる前に最小限で止められる手立てがなかったのか」と残念がった。

 火災発生時、熱に反応する防犯センサーが作動していた。その直後に正殿内の北側部分で煙が充満し、その後、火柱が上がっているのを警備員が確認しているという。

 首里城は那覇市内を見下ろす高台にあり、城壁に囲まれ、まさに敵からの侵攻を防ぐ“城”としての機能を有していた。ところが、これは火災において自らを滅ぼす方向に作用してしまったようだ。

 元東京消防庁消防官で防災アナリストの金子富夫氏は「外から入ってこようとする消防隊の消火活動をやりにくくした」と指摘する。また、消火栓が圧倒的に少なかったことも災いしたという。

「2~3か所に見えた。数が少ない。京都アニメーションの放火による火災の時と同様の事態。あの時は消火栓は5~6か所だった。東京であれば、20~30か所は普通にある。放水車が30台来たところで、消火栓が少なければ意味がない」

 金子氏は地方の消防が大規模な火災や特殊な火災に慣れていないと言いながら、「防火水槽や近くにあったという池などが活用されていたのかも知りたい」とし、消火活動の検証を望む。

 大規模木造建築の場合、出火から15~30分で急激な爆燃現象「フラッシュオーバー」が発生するという。

「初めのうちはチョロチョロ燃えていたという証言や、正殿のシャッターを開けたという情報もある。シャッターを開けて空気の通り道ができると、燃える原因になる。閉めながら消火すればよかったかもしれません」(金子氏)

 また、市消防局などによると、スプリンクラーの法的な設置義務はないとしているが、少なくとも首里城正殿、南殿、北殿にスプリンクラーはなかった。

「歴史的建造物の保存も理解できるが、こうなってはどうしようもない。全国の史跡で火災対策が再考されるだろう」(同氏)

 今年4月には、フランス・パリのノートルダム大聖堂で大規模火災が発生した。世界的に世界遺産の防火、防災対策は喫緊の課題だ。悲劇を繰り返さないために「強い首里城」として再建されることが望まれる。