【生き様に活かす死者の声】「布川事件」再鑑定時に感じた〝違和感〟

2020年08月25日 10時00分

【法医学者佐藤喜宣の生き様に活かす死者の声】法医学者で杏林大学医学部名誉教授の佐藤喜宣氏(71)は、数々の有名事件に関わっている。今回は、事件発生から44年後に無罪となった「布川事件」の再鑑定時での“違和感”について明かしてもらおう。

 ドラマの世界でも、現実の社会でも、有罪とされていた被告人が逆転無罪となることがあります。

 法医学者は裁判とも密接な関係にあるので、私も鑑定を行ったり、ときには証人尋問のために出廷したこともありました。

 1967年8月、茨城県利根町布川(ふかわ)に住んでいた男性(当時62歳)を殺害
したとされた2人の被告人が、物証がほとんどないまま起訴され、強盗殺人罪に問われた「布川事件」が起きました。

 78年に最高裁判所で無期懲役の判決を受けて服役し、逮捕から29年後の96年に仮釈放された後に再審請求が認められ、事件発生から44年後となった2011年に無罪を勝ち取った冤罪事件です。

 この裁判にあたって、日本弁護士連合会から06年に再鑑定の依頼を受けたのですが、死体検案書、鑑定書、供述調書などを照らし合わせていたら、ある違和感に気がつきました。

 それは殺害された男性の首の太さが62センチという記述でした。身長160センチほどの方だったのですが、日本人男性の太い首といってもせいぜい40センチ強。62センチということは、暑さによって死後腐敗が進行し、ふくらんでいたということです。

 供述調書によると警察は犯行当時、62センチという首の太さに対応できるものを使わなければ絞殺できないという観点から捜査し、その筋書きに沿って「さるまた(パンツ)を口の中に入れて声が出ないようにした上で結索(けっさく)し、手を交差するようにして絞めた」と書かれていました。しかし死体検案書には、検察側が主張していた手によって殺害する扼頸(やくけい)を明確に示す所見はありませんでした。

 再鑑定ではそれらの状況を勘案し、ひも状のもので絞頸(こうけい)した後、被害者の口腔内にパンツを詰める行為が行われ、死亡後に腐敗現象が起きたという殺害方法と順序に関する意見書を提出し、証人尋問のために法廷にも出廷しました。

 以降、あらゆる角度から粘り強く証拠を積み上げていった弁護団は、警察の偽証を証明し、11年に桜井昌司さん(73歳)の無罪を勝ち取ったのです(杉山卓男さんは15年に死去)。

 死因を究明する解剖は、その人の人生はもちろん周りの方の人生にも影響を与える責任ある仕事ですが、裁判における再鑑定もまた大きな責任を伴います。

 布川事件の犯人はいまだ捕まってはいませんが、自己都合や職務怠慢で罪もない人の人生を左右することは許されないのです。 

 ◆佐藤喜宣(さとう・よしのぶ)1949年、東京都生まれ。杏林大学医学部名誉教授。日本歯科大学、広島大学医学部客員教授。東京都と千葉県の児童相談所セカンドオピニオンも務めている。ドラマ「監察医 朝顔」の原作漫画の監修者でもある。