銚子沖の沈没船に徳川埋蔵金?山口敏太郎氏が大胆推理

2017年12月05日 08時00分

犬吠埼から臨む銚子沖

 幕末、江戸幕府が隠したとされる徳川埋蔵金が銚子付近の沈没船に積まれている!? こんな大胆な推理をしたのは、オカルト評論家で民俗学にも精通し、さまざまな地方史文献を読み込んでいる山口敏太郎氏(51)だ。千葉・銚子地方の伝承、沈没船からの引き揚げ物などなど、点と点を結び、オカルト的視点も加え、銚子付近にお宝が眠っているとみた。来年は「明治150年」。歴史ブームの盛り上がりを前に、埋蔵金の謎も知っておいて損はない。

 現在の貨幣価値で3000億円とも200兆円とも噂される徳川埋蔵金伝説は長年、日本人を魅了してきた。

 1868年3月、明治新政府軍は旧幕府の徳川家との間で、江戸城を新政府に引き渡す約束を交わした。財政難に苦しんでいた新政府軍は徳川家の御用金の存在を期待していたが同4月、江戸城無血開城の際、金蔵は空だった。

 新政府軍は「徳川家はどこかに金を隠したのだろう」とにらみ、江戸城をはじめ、関連先を血まなこになって探したが、御用金はどこにもない。これが徳川埋蔵金伝説のスタートだ。

 これまで、さまざまな証言や状況証拠から「隠し金は赤城山に埋められている」と群馬県赤城山が有力地とされ、何度も捜索隊が組まれては山の各所が発掘されたが、誰も発見できないまま今日に至っている。赤城山説はダミーであるとして、男体山などからなる日光山(栃木)、榛名山(群馬)など、さまざまな説が出ていた。

 山口氏は「徳川埋蔵金といえば、どうしても赤城山を思い出す人が多いだろう。しかし、幕末の混乱期に大量の埋蔵金を赤城山に陸路で運ぶとは思えない。また、すべての埋蔵金を赤城山に集中して隠すとも思えない。いくつか分散して埋蔵金を隠したというのが通常の考えではないか」と語る。
 陸路ではないなら、水路ということか。

「江戸城から埋蔵金は船で運ばれたのではないかと推理している。江戸城から隅田川を経て、利根川を経由し、銚子に至る海運のルートがある。そもそも銚子は徳川家康が紀州から子飼いの漁師たちを移住させて、作らせた徳川の表玄関である」(同)

 幕末の動乱時、幕府の海軍が銚子を中心に集結していたのは歴史的事実だ。一方で、船の転覆事故が現在も多発しているように銚子沖は荒波で知られる。
「埋蔵金を隠すにあたり、幕府海軍の力を使わないわけがない。そのうちの一隻に埋蔵金の一部が積まれていたとしたらどうだろうか。銚子の海鹿島(あしかじま)付近に幕府の船が一隻沈んでいる。伝承によるとこの船に徳川埋蔵金の一部が積まれていたと言われている」(同)

 実は、昭和初期、銚子付近の沈没船の一つから、砲弾や武具など幕府の関係者と思える人物が使っていた道具がいくつか引き揚げられたことが分かっている。

 しかし、海流が激しく、詳細な捜索ができていないのだという。この沈没船に徳川埋蔵金があるのか。

 最近、神奈川県三浦半島沖に沈んでいる仙台藩の船に徳川埋蔵金が積まれているという説も浮上し、テレビでも取り上げられた。

 山口氏は「三浦半島沖の沈没船が沈んでいるのは海獺島(あしかしま)付近だという。そして、銚子も海鹿島。銚子と三浦半島と場所が違うが、同じ“アシカ”島という地名が気になる。やはり徳川埋蔵金は複数か所に分けられて隠された。運び出されたと解釈するのが正解だろう」と指摘する。

 約150年たっても、いまだ行方が分からない徳川埋蔵金。明治元年から節目の年となる来年、NHK大河ドラマ「西郷どん」は、前出の江戸城無血開城に関わった西郷隆盛が主人公となる。明治維新への注目が高まる中、海中からお宝がたんまりと引き揚げられる日は来るのか。

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